ビルマ戦 2010.06.10 (木)
WikiPでイラワジ会戦執筆中なんだけど、まだ半分しか書いてないつもりなのに2万バイトこえてる。全部書ききったら4万バイト以上いってしまう。これまで一番書いたのでさえ2万4千バイトぐらい。日本語の参考資料があるって怖いなあw



「ビルマのように厳しい戦局下で、こんな荷物(引用者注:粋香園という料亭のこと)はないほうが良いと思ったが、方面軍ではどうしかことか、作戦課長直轄の聖域であった。その門前にはいつも数十台の車が並び、苛烈な戦力をよそに繁昌をきわめ、前線将兵の怨嗟の的でもあった。」
後勝『ビルマ戦記―方面軍参謀 悲劇の回想』p.175

「『あいつらは、大阪からやって来た芸者なんですよ。これから、メイミョウに在る第15軍の司令部に行って、連日、連夜の宴席にはべる連中ですわ』と、噛んで吐き出すようにいった。」
緩詰修二『最悪の戦場 独立小隊奮戦す』p.189


作成中の収録されるかは分からない。こういう話はどういうわけか、たちまちの内に兵隊の中で噂となって四方八方広がっていくものらしい。旧軍の暗部。

ビルマ方面軍後方主任参謀だった後勝氏はどうしてそんなに遊ぶ金があるのかと訝しがったが、戦後の戦友会で「後方参謀なら物資を少しちょろまかせば稼げるのに」と言われて仰天したらしい。



最近思うが、日本陸軍は実際の戦いで戦力の集中をあまり重視していない。イラワジ会戦の3号攻勢も過早に実行してしまって兵力消耗して、あとで慌てて1号攻勢…もちろん失敗。



後期ビルマ戦における兵士の不満は、「装備が貧弱であること」および「上級司令部の指揮劣悪であること」に大きく分けられる。

「装備が貧弱であること」はとくに小火器、自軍はボルトアクション式小銃が基本なのに米英軍は自動小銃が持っていることと対戦車兵器に乏しいことである。弾薬の補給が滞ってくるとサンパチ捨てて、鹵獲したステンガン装備しだすというオチがつく。

一般兵士から見れば、インパール作戦がなぜ決行されたのか謎としか言いようがないだろう。飯にありつけるのか、弾はあるのかという視点で。最悪統帥の花谷正師団長、料亭で遊び倒す軍司令部…



「日本軍の士気はインパール戦前のように最高ではなくても、最後の者まで、最後の弾薬までというほどであった。個々の日本兵は、私が常に言ったごとく史上の最も恐るべき虫であり、インド国民軍師団の戦闘価値はほとんどゼロであり、またビルマ国民軍は、我々の1942年の経験から観て、厄介者以上の何者でもなくて、内部の保安勤務のため持たれていた程度のようであった。」
英スリム中将『敗北から勝利へ』pp.190-191

翻訳があれなので原著も参照したい。虫って言い草ひどいねw
これぞ「必勝の信念」ってやつだろうか。やらなくていいのにやる攻撃精神、捕虜になることが許されない社会的ルール、後退=敗北とみなされるなどといった代償を払ってさえ必要なものだったんだろうか。
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