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ビルマ戦 2010.06.01 (火)
イラワジ会戦に関する本を読んだ感想。主として陸戦史集『イラワジ会戦』。あと、戦史叢書『イラワジ会戦』、磯部卓男『イラワジ会戦』、Ospreyの『Meiktila 1945』、英公刊戦史『War against Japan』をちょろちょろと。

・1944年、インパール作戦後にビルマ方面軍司令官になった木村兵太郎の評価は、一般に著しく悪い。が、作戦に関しては定見のある軍人だと思った。
・イラワジ会戦に際しては「決戦」回避を主張していたが、参謀長田中新一(辻~んと同種の人物だろう)が決戦を強弁に主張したため押し切られた。インパールと同じノリ。参謀長のおかげで司令部内の雰囲気は悪かったという(要クロスチェック)。
・その後1945年2,3月のメイクテーラ戦になると統帥を発揮して、声の大きい参謀長の意見を退けて司令官自身の方針を命令している。
・これはイラワジ戦後になってしまうが、木村司令官の悪評を決定的としてしまったラングーン放棄の実相はどうなのか調べてみたい。磯部卓男氏(元歩兵第214連隊)は、司令部が襲撃されたら元も子もないと擁護している。


・われらが辻~ん(辻政信)はやっぱりやってくれた!!
・メイクテーラ戦終盤の会議において、未だ攻撃の意思を有していた田中参謀長に対し、
「敵戦車1両を破壊するのに火砲1門と人員50名の犠牲とを必要とする。したがって残存約100両の戦車を破壊するためには約80門の火砲と5千の人員を補充しなければならない。それまでにしてなお、作戦を継続し、メイクテラ奪還を強行しなければならぬかどうか、方面の真意を承りたい」
さすがの田中参謀長も折れたという。

さすが辻~ん、ほかのやつには出来ないことをやってのける!!

・そのほかにも所属した司令部をさんざん引っ掻き回してる。ガダルカナルで懲りたのかと思ったらこれだよ。


・この時期のビルマ方面軍各師団の人員が少なすぎる。大隊と出て、「200名」とかある。これでよくやれたなあと。
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