スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
楠公戦史 2010.05.09 (日)
以下はすべて長谷川端訳注『太平記』(天正本)に基づく。

○状況
京都付近において、官軍と将軍方は数度の合戦を交え、さらに北陸より官軍の援軍として現れた北畠勢も加勢して激戦となった。しかしながら勝利の女神は将軍方に微笑まず、兵庫に向かって敗走した。豊島河原および小清水の戦いはそののちの合戦である。

○1336年2月、豊島河原の戦い
・官軍および将軍方の主力決戦中、追随してきた楠木勢による包囲機動(『楠公の戦術上及び精神上の教訓』によれば側面攻撃)
・背後に危険を感じた直義の退却(同書によれば、正成勢の助攻に勢いづいた新田北畠の本隊による猛攻に耐え切れなくなった将軍方が敗走)

○小清水の戦い(上の戦いのすぐ後)
・先鋒→官軍:土井、得能 将軍方:大友、厚木、大内介(3千)
・両軍とも先鋒は新参、官軍の士気高揚しあり、将軍方は官軍より多勢なるも威勢欠くところあり
・部隊を並列させた土井、得能勢は一度矢を放ったのち、ただちに抜刀突撃
・将軍方先鋒は撃破され、左右に避けながら退却
・官軍先鋒はそのまま足利本隊に突っ込む
・将軍方に敗色が現れる、尊氏自害を考えるも周囲に諌められ、船で九州に落ち延びる

○評
・『楠公の戦術上及び精神上の教訓』にあるように、豊島河原の戦いにおいて楠木勢はたしかに活躍している。しかし小清水の戦いでは、同書にあるような活躍は見当たらない。他史料に記述があるのか? 天正本とは違う版を資料として使ったためか?
・両軍とも、一般的に「必勝の信念」にとぼしい。しばしば決死の軍隊は寡兵をもってよく多勢を制している。ただし、決死になるか否かは諸種の事情によるためあてにしにくい。この判断を朝廷が誤ったがために官軍は湊川の敗北を喫してしまうのである。



一番最初に書いたように上は『太平記』に基づく。しかしながら『梅松論』においては全く別のことが書かれており真偽不明である。

http://homepage1.nifty.com/sira/baisyouron/baisyou30.html
『梅松論』によれば、西宮浜・豊島河原の戦いとなる。

http://homepage3.nifty.com/t_michiko/syasin34.htm

・西宮浜の戦いにおける官軍先鋒楠木勢の謎の撤退
・豊島河原の戦いでの将軍方の根拠の薄い九州落ち

豊島河原の戦いで足利軍は相当な損害を蒙ったのか? あるいは精神的なものだろうか。
連続作戦の疲労消耗は両軍とも同じだろう。
『梅松論』は記述がそっけなさすぎる。何も分からない。



5/10、アパートに戻ったので資料に基づいて修正。やっぱりメモ書きだけで打ち込むと誤りが…
Secret

TrackBackURL
→http://hikasuke333.blog113.fc2.com/tb.php/86-ea223ab2

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。