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・部隊命令第68号(1918年9月9日付、軍司令部発布)
「1.軍司令官は攻勢を企図している。ヨルダン峡谷を占領中の我が軍は、El Mughaiyir(113.Q.5)東の高地と海の間の前線を攻撃するつもりである。この際、敵に決定的打撃を与えNablus-Samaria-Tul Karm-Caearea線から駆逐する目的も伴う。」
一文が長くて意味が取りにくい…メギット作戦の所期の目標は上記。この後の経過は追撃戦だったので…まあ、そうか。
driveの意味がよく分からない。一応「駆逐する」とした。

・砂漠乗馬軍団作戦命令第21号(1918年9月12日発布)
「2.意図――砂漠乗馬軍団(オーストラリア・ニュージーランド乗馬師団欠)の任務はEl 'Affule-Beisanへの前進、敵最重要地点の鉄道線の遮断、もし敵が北方あるいは北東に退却中であれば敵縦隊を襲撃し土地を獲得することである。」
ほうほう…3つ目の任務に基づき、砂漠乗馬軍団は1918年9月26日(作戦開始日は9月19日)電信命令を発布、「オスマン第7軍、第8軍は撃破された。第4軍はダルアーからダマスカスに向かって敗走中である。砂漠乗馬軍団はダマスカスへ進撃するつもりである。」となるのか。

・英空軍パレスチナ旅団の作戦目標
戦略(作戦?)レベル――ザンデルスの通信網を破壊し、彼の軍集団の統率(command)を麻痺させる。
戦術レベル――後退するオスマン縦隊を機銃掃射・爆撃し、敵の抗戦意思を打ち砕く。
(Megiddo 1918, p.32-33)
アメリカ軍人(エリクソン氏とか)は兵術?の階層を戦略、作戦術、戦術に分けてるけど、一般の間では戦略、戦術としか分けてないからこんがらがる。我らが自衛隊なんか作戦戦略なんていうのあるから、もうわけわからめw

・オスマン側の防御構想についてはOttoman Army Effectiveness in World War 1が一番参考になるかな。その骨子はWikiPに書いたのと今も大してかわからない。
「その防御計画はいたってシンプルで、敵に土地を渡すことなくその場で固守するというものである。陣地を奪取された場合は、すぐさま予備隊による反撃を行う。しかし作戦レベルでみると、もしものときに拠るべき第2線陣地がなく、固守か死かいずれかしか選択がなかった。」

・イギリス側が賞賛してやまないアレンビーの欺瞞工作について、エリクソンは見破っていたとしている。理由として次のことが挙げられている。
1.「1918年9月17日オスマン情報部は第8軍の対面に5個歩兵師団およびフランス軍支隊がいることを特定していた」とトルコ公刊戦史が記述している。その上、オスマン情報部は第7軍対面に2個師団、ヨルダン川前線に2個乗馬師団がいたと推定している。
2.9月16日に第2カフカス騎兵師団がTul Karemに到着し始めたこと
3.9月17日に第46師団がイギリス軍突破正面である第22軍団の予備に配置転換していること
4.第8軍戦区に3個重砲兵大隊も配置されていたこと
5.海岸部に特に経験豊富な師団が配置されていたこと
「要するに、電撃軍集団はアレンビーの欺瞞計画によって奇襲されていたわけではなく、オスマン指揮官たちは今にも起こりそうな攻撃の戦力や場所に気がついていたことをこの証拠は示している。リーマン・フォン・ザンデルスに利用可能な数少ない予備と増援は西へと移動し、アレンビーが望んだ東へは動かなかった。その上、重要な沿岸の平原は実戦経験豊富な2個師団、軍重砲兵によって強く重視されていた。かの地区はオスマン軍の前線のなかで最も強固に防御された場所になっていたのである。」
(Ottoman Army Effectiveness in World War 1,p144-146)



そろそろ作戦構想やるの飽きてきたので、経過書かねば!!
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