スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
機略戦は敵が対処することができない騒然とした急速に悪化する状況を作り出す迅速で集中的かつ思いもよらないさまざまな行動によって、敵の凝集力を粉砕することを探求する戦闘哲学である。
(米海兵隊編『WARFIGHTING』、『アメリカ海兵隊のドクトリン』pp.83-84,より)
楠木正成は機略戦論者と言えるのだろうか。なんというか最近楠木正成はすごい人じゃないかと思い始めた。ん~。
機略戦についてWikiPの[機動戦]のノートにて議論がある…言わんとしていることがよく分からない。ミリタリーは深いなあ。

メギッド戦における機略戦の要素は今考えうるだけでいえば、「アラブ北部軍の破壊工作」、「砲撃」、「航空機の襲撃」だろうか。前者二つは調べがつきそうだけれど、空は専門外…英語は読みたくないんだけど、これも公刊戦史あさるしかないかな。機略戦とメギッド作戦を論じた論文はないのか。

ロレンスは後のゲリラ戦に影響を及ぼしたのだろうか。あの長ったらしくて嘘八百の回想録が当事者たちにとって参考になっただろうか。


Archibald Wavell,Allenby, a Study in Greatness: The Biography of Field-Marshal Viscount Allenby of Megiddo and Felixstowe,pp266-267脚注より、メギッド戦時のオスマン軍戦闘員を3万3千と評価しているが、捕虜となったのは10万以上なのだから、総員(ration strength)は結構いるという話。オスプレイのメギッド本ではオスマン軍捕虜7万6千らしい。おそらくどちらも戦果過大だと思う。そう思うがエドワード・エリクソンによると、トルコ公刊戦史はイギリス側の数字をそのまま載せているらしい。敗戦のゴタゴタで統計が取れていないのかな。

一方イギリス側は3個軍団の総員(ration strength)が15万より少ないぐらい。戦闘員は6万6千。部隊の半数以上が後方員…砂漠地域の補給は難しいのか。日本陸軍参謀本部が砂漠戦の記事で補給に特に注目していたのも頷ける。クート敗戦後に再生された英メソポタミア方面軍も後方人員が半数以上を占めていたはず。

オーストラリア公刊戦史によると、イギリス情報部はオスマン軍戦力を2万と評価していた。一般にオスマン軍を過小評価する傾向にあったらしい。でも、となるとオスマン軍の戦力を歩兵3万2千、騎兵3千、火砲370門と書いているのはイギリス公刊戦史だろうか。

「塹壕戦という前提条件があったため、錠前を破壊するのに歩兵と重砲が必要であった。しかしそのあとで戦いの正常な条件が回復されてしまうと、アレンビーの戦力全体のごく小部分にすぎなかった機動的要素――騎兵、飛行機、装甲車、アラブ軍――によって、勝利が達成されたのである。しかもそれは物理的力によってではなく、機動性を敵の士気をくじくように活用したことによって、達成されたのである。」
(リデルハート『第一次世界大戦』pp.235-236)

「太宗曰く、『朕、千章万句を観るに、他方を以ってこれを誤らすの一句に出でざるのみ』と」
[太宗は言った、「私は多くの兵法書に目を通してきたが、その要諦はさまざまな策を講じて敵の誤りを引き出す――このことに尽きるように思うのだが」]
(李衛公問対)



教育総監部編『武人の徳操』1930年、を今読み中なので読み終わったら感想書こうかなあと。でも上下巻とあるけど、上巻だけでお腹いっぱい状態w
Secret

TrackBackURL
→http://hikasuke333.blog113.fc2.com/tb.php/67-a1c9f64e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。