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ドイツ突撃部隊 2010.01.10 (日)
stormtroop tactics, Conclusionより


「第1次大戦に参加した他の軍隊がどうしてドイツのように革新を遂げなかったのか」という問いがある。これに対する回答でよく言われるのは、「西部戦線の連合軍は陣地戦を解決するのに技術(戦車など)を追い求め、ドイツ軍は戦術的解決(浸透戦術など)を目指した」というものである。

しかし、これが満足な回答となりえない2つの理由がある。

・ドイツの戦術的解決は多くの新兵器を取り入れたものだった
・英仏は戦術的解決も試みている(Week-long bombardment[移動弾幕射撃?]、間接機関銃火など、つまるところ「砲兵が耕し、歩兵が占領する」という考え)


よりましな質問にするなら、「ドイツは特異な方法での革新をどうして遂げたのか」になるだろう。これの答えは以下の通りになる。

・分権化(decentralization)
・自己啓発(self-education)
・戦闘工兵
・大戦前からの戦術上の議論
・利用することのできた兵器
・ドイツ軍を特徴づける個性

個性というのを具体的に上げるなら、ルーデンドルフ、ウィルヘルム王太子、ローワ大尉、ブルフミュラー大佐、そして100年もの古きに渡る猟兵の伝統になる。


上記に挙げたもののうち、分権化、自己啓発、戦闘工兵は特に強調されうる。

分権化とは、小部隊指揮官にフリーハンドの指揮権を与えることである。英仏軍は新しい状況に対して素早く対処することができなかった。教範を改定しなければ対応することができなかったからである。イタリア王国もその成立上地方分権的であり、アルディーティをつくった。しかしアルディーティの新戦術が一般歩兵部隊に伝わることはなかった。

自己啓発、ドイツ軍を分権化した要素は自己啓発的な将校団である。ドイツ軍は英仏軍のように教範があれこれ規定したものではなく、もっと観念的なものだった。「大尉は実際的に教範に縛られない。そして彼の考えに合致することを行うのを邪魔する権利は誰にもない。そのような行動が教範に存在する精神に全く反しているか、明白にただ不十分な結果を与えるものであるかを除いては」。部隊訓練に対する自由はドイツ軍に自分で改善する能力を与えた。

戦闘工兵は戦前より要塞戦の訓練をしていた。1914年時には、工兵はすでに分隊単位のチームで任務をこなしていた。しかも戦闘というものに対してロマンチックな考えなどこれっぽっちもなく、きわめて現実的な態度でこれに当たろうとした。(公式的な突撃隊は工兵から生まれた)




stormtroop tacticsが英語力がなくて全然読み終わらないので、結論部分だけまとめてみた。合っているかは知らない。

グドムンドソンは結語において、たしかに突撃隊戦術は有効であったが西部戦線での根本的な作戦的問題の解決にはならなかったと述べている。根本的な作戦的問題とは、英仏軍の鉄道と自動車隊が常により多くの新鮮な兵隊を送り込むという事実である。

「この問題を扱う方法は、次の戦争まで待たなくてはならない。1939年の初め、十分に自動化し、部分的に装甲化した装甲師団はドイツ軍に敵より速く縦横無尽に戦場を移動する方法を与えた。革新は戦車というよりも、敵の配置の隙間に素早くつけ込むことのできる機動力だった」

ここで日本陸軍参謀本部編『欧州大戦の戦術的観察』の結語を見てみる。

「これを要するに、砲兵火力の歩兵への随伴問題は陣地戦初期からの難問題であり、爾来多くの月日と悲惨な実験を重ねたが大戦間ついにその解決を見ずして残った。そしてこれを解決するための一方法として案出された戦車の出現によって、戦闘方式が根本において変化する機運に向かいあるような傾向を暗示して今日に及んでいる。すなわち砲兵火力と歩兵との協同問題は今日でもなお未解決の問題であり、おそらく将来においても解決を見ることなくして終わるであろう。間違いなく軍隊の機械化によって、これの解決が必要とされるからである。」

機械化=機動力の増加とみなすならば、2者の結論は同じと言える。4個戦車師団、少数の自動車化師団しかつくれなかったポン軍…むなしくなるなぁ
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