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ttp://alh-research.tripod.com/Light_Horse/index.blog/1847762/put-grant-straight-at-it/
ここのサイトはどこの団体がやってんだろうか。内容的に個人じゃないだろうし…
上記リンクの超訳のようなもの。忠実じゃないよ。

第3次ガザ戦のベエルシェバ戦に関して。第3次ガザ戦はブログと本家に書き散らしてるので、読めば大体の内容は分かる…はず。




ショーヴェルはグラントに「グラントにやらせろ」と本当に言ったのか。
(“Put Grant straight at it”の訳はこれであってると思う。間違ってても知らないw)

欧州大戦が終わり、それが物語として語られるようになったとき、有名なベエルシェバへの乗馬襲撃の始まりとされるショーヴェル将軍のグラント准将への命令はシナイ・パレスチナ作戦の重要な場面の一つとなった。

オーストラリア公刊戦史、ギュレット『シナイ・パレスチナのオーストラリア帝国陸軍 1914-1918』p.393より
「短いが、緊張した議論があった。(砂漠乗馬軍団長)ショーヴェルの意図を察したグラントとウィツジェラルドは乗馬襲撃を進言した。ウィツジェラルドの第5義勇乗馬旅団は剣を装備していたが、司令部近くに止まっていた。しかしグラントの第4軽騎兵旅団は小銃と銃剣しかないが、ベルシエバにより近い位置にいる。少しの間のあと、ショーヴェルは軽騎兵隊に命を下した。『グラントにやらせろ』、(オーストラリア乗馬師団長)ホグソンへの簡潔な命令だった。グラント准将はすぐさま準備のため彼の部隊へと自ら馬を走らせた。


2年後にシナイ・パレスチナ作戦に関するイギリス公刊戦史が出るが、ストーリーが幾分違う。テキストの本文にはない。脚注内においてギュレットが書いたようなことが、本当にあったのか議論している。

マックムーン、フォールス、ベーケ共著『エジプト及びパレスチナでの軍事作戦』p.58脚注より
「『オーストラリア公刊戦史』p.393での記述は情報が不足している。午後3時半、ショーヴェル将軍は一個旅団によるベエルシェバ攻撃をオーストラリア乗馬師団に命令として送っている。しかし乗馬での、という記載はない。グラント准将に命令を与えておらず、ホグソン中将ににだけ話したというショーヴェルの回想によるものである。しかしながら、グラント准将の言によると、ホグソンは彼を軍団長(ショーヴェルのこと)に連れて行き、ショーヴェルはどう攻撃を実行するのかという指示を与えずに、暗くなる前に町(ベエルシェバ)を取れと直接言った。したがって、彼は彼自身にのみ乗馬攻撃の責任があったと述べている。」


この状況はフォールスが受け取ったショーヴェルとグラントの2通の手紙から起こった。


親愛なるビーン氏へ

パレスチナ作戦の公刊戦史のベエルシェバの章でのグラントのコメントに関する5月31日のあなたの手紙について。私はグラントに個人的に命令を出していません。彼はホグソンから命令を受け取ったのです。私はホグソンに命令を下す前、彼とこのことを議論したとき、乗馬攻撃は熟慮しました。実は他に何かする時間がほとんどなかったのです。私は明確にウィッツジェラルドを覚えています。彼はグラントの隊が持っていなかった剣を自分の隊が持っていたので、彼の旅団を使うようにと提示しながら、議論に参加していました。ウィッツジェラルドよりより早くなせるようなので、私はホグソンにグラントにやらせるようにと話しました。両旅団は軍団予備でした。しかし敵航空機の襲撃を避けるために散らばっていました。

大いなる敬意とともに、
敬具
ヘンリー・ショーヴェル



ショーヴェルが手紙の中で述べている彼の回想は全くもって明確である。「私は、グラントに少しの命令も個人的にしませんでした。"I did not personally give any orders to Grant." 」

対照的に、ギュレットの本で書かれているのだが、グラントは異なるストーリーを語っている。


私が軍団司令部の近くの点から数時間攻撃の進捗を見ていたとき、ホジソン将軍が午後4時に私のところへやって来て言った、

「グラントの行く順だ。行って軍団長に会え。」

われわれはそれから行った。ショーヴェル将軍は以下のように述べた、

「日が暮れる前に町をとれ」

そして、攻撃の方向を示した。BGGS(ハワードヴァイス将軍)は、それから、ベールシェバからKhasim Zannaに至る道に近いところにいたアンザック乗馬師団の左側を移動するよう私に言った。どう攻撃がなされるのか一切指示はなかった。

敵部隊の行動から、遅滞行動をしたのち夜陰に紛れて井戸を破壊して退却するとの意見を私は形成した。したがって、私は乗馬襲撃をもって防御線を打ち破り、これを阻止せんと命令した。私自身にのみ乗馬攻撃の責任があり、私自身のイニシアテチブによるものであった。



グラントもまた彼の回想について明確である。"Go right in and take the town before dark."

当事者はもういない。この矛盾する2つの物語はテーブルに並んでいるが、どう判断を下すかは読者次第である。フォールスが提起したように。







最後力尽きかけて機械翻訳を使ってしまった。輪をかけて珍妙な文章だ。

ホグソンの回想は残っていないんだろうか。これとは別の角度からの研究とかもないんだろうか。


以下命令系統

ショーヴェル(砂漠乗馬軍団長)

ホグソン(オーストラリア乗馬師団長)

グラント(第4軽騎兵旅団長)、ウィツジェラルド(第5義勇乗馬旅団長)



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