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第1次大戦全般 2009.11.20 (金)
何かに使うだろうとメモ帳に保存していたもの。



「学校の講堂や会社の事務室から飛び出した私たちは、短い教育の間に1870年以来のドイツのイデアリスムスを双肩に担うべき軍人にたたき上げられたのである。物質文明の中に生い立って異常な事件や大きな出来事にあこがれていた私たちは、ただわけもなく戦争に酔ってしまった。

花束の雨に送られて祝福された気持ちで勇ましく出征の途に就いた。戦争は大きなもの強いもの神聖なものだと信じ、またいかにも男性的で花咲く野原の兵隊ごっこのように愉快なものだと考えたのである。国内でぐずぐずしていることはない。戦地に向かう。戦線に立とう。これが私たちの気持ちであった。」
ドイツ兵エルンスト・ユンガー



1914年8月3日
「万歳! とうとう、明日午前11時当市の某所に集まれという命令を受け取りました。今か今かと待っていたところです。今朝知り合いの若い婦人に会いました。平服姿を見られるのが、恥ずかしいぐらいでした――お父様、お母様も頷いて下さるでしょうが、僕はもう平和なライプチヒの人間ではありません。

愛するお母様、僕が昨日[家でお暇して]から、気分の変わってくるうちに悟ったことを、どうぞ忘れずにいてください。つまり、こういう時に、私たちが自分のことや家族のことを考えるとしたら、私たちは小さく弱くなるのです。

国民や祖国や神や、一切の包括的なもののことを考えるとしたら、私たちは雄々しくなるのです。」
ドイツ学徒兵ヴォルター・リンマー、マルヌにて負傷後9月24日死亡



「皆さんに強き接吻を送ります。もしも不運なことがあったとしたならば、それは私個人にとっての出来事ではなく我が大フランスのための出来事です。しかし私はとにかく戦争が早く終了せんことを望んでおります。」
フランス兵ジョルジュ・アンジー伍長、8月25日戦死



1914年9月24日
「愛する善き大切なお母様、僕は戦争から帰れると思います、いや正確にはそうなると望んでいます。
しかしそれが出来ない場合のために、今お別れの手紙を書いておきます。僕は今死んでも満足してこの世を去るのだということを知って頂きたいと思います。

僕の生涯はどうかいう余地のないほど美しいものでした。それほど美しかったのは、何よりもあなたのおかげです。愛する、善きこの上のないお母様。あなたの愛に対し、あなたが僕のためにして下さったすべてのことに対し、何もかもに対し、僕は感謝いたします。

[中略]

僕は戦時よりも平時に祖国と国民のためにより多く役立ち得ると確信はしていますが、今更そのような慎重なほとんど打算的な観察を行うことは、間違ったこと、不可能なことだと思います。それは、溺れかかっている人を助けようとする者が、助けるに先立って、溺れかかってる人間は何者だろう、自分のほうがこの男より値打ちがありはしないかと、熟慮するようなものです。

――なぜなら、重大なのは犠牲的精神であって、何のために犠牲が捧げられるかということではありません。」
ドイツ学徒兵フランツ・ブルーメンフェルト、12月18日戦死



「何人も私の死を嘆かれざること、これ実に私の最後の要望であります。遺言であります。このように正しき理由のために己の命を捨て得ることは非常な光栄であり、私の子供らは父が名誉ある戦場で倒れたことを記憶せんことを望みます。」
フランス兵エルネスト・ベルトール少尉、9月22日戦死



「第9軍司令部において収集した諸情報を総合すれば、ドイツ軍は戦争当初より間断なく前進した結果今や疲労の極度に達している。各種団隊には幹部なく、部隊相混乱し、指揮また錯乱しあり。

我が軍の行った猛烈な攻勢は、もはや我が軍に何らの抵抗力なしと蔑視していた敵の戦線内に一大恐慌を与えた。ゆえに現在の状況を最大限に利用することきわめて肝要である。

我が祖国の名誉と安寧とを賭ける目下の時期において、将卒はすべからく我が民族の精気のなかに敵をしてついに力尽き退却するに至らしむるまで抗戦する力を求めなければならない。独軍部隊中に起こった混乱は我が軍勝利の前兆である。すでに為せる努力を最大の勇気を振いて継続すれば、我が軍は敵の前進を阻止し、これを祖国の領土外に駆逐しうること確実なり。

各員はすべからく銘すべし、勝利は敵に比し永く忍耐持久し得るものに帰すべきことを。戦線より受けたる諸情報は良好なり。」
マルヌ戦時隷下部隊への通報、フェルデナン・フォッシュ(『第一次世界大戦・下』)



「敵は猛烈な砲撃を経て午後5時ごろ始めて窒息性ガスを使用し、フランス軍師団を攻撃した。このとき飛行隊より『午後5時ランゲマルク―ビックショーテ間のドイツ軍塹壕から濃厚な黄色の煙が発散するのを目撃した。』との報告があった。

次いで起こった光景はほとんど筆紙のおよぶところではない。

この毒ガスの作用は極めて猛悪であり、前述の仏軍師団の守備していた全線はまったく行動不能に陥ったといっても過言ではない。最初誰も目前に起こったことが理解できなかった。濛々たる煙は視界を全く遮って咫尺を辨せず、数百もの兵士は昏睡もしくは仮死状態に陥り、一時間ならずして全陣地を約50門の火砲とともに放棄しなければならなくなった。」
英フレンチ将軍、第2次イープル戦での毒ガス初投入について(参謀本部編『瓦斯戦史』)



「諸君らに命令するのは攻撃ではない、死だ。我々が死ぬまでに稼いだ時間の間に味方部隊が我々の陣地に就くことができる。」
第19師団長ムスタファ・ケマル中佐、ガリポリ戦時



「防御においてはトルコ兵ほど強い兵はヨーロッパにはいない。私はこの点についてトルコ兵を裏書きするものである。ドイツ兵が防御において最も強いことは誰しも知るところではあるが、かのガリポリ作戦の時さすがに強いドイツ兵もイギリス軍の砲撃に耐えかねて、トルコ兵がこれに交代していったことがある。」
英チャールズ・タウンゼント将軍(『近東に於ける全大戦の考察』)



「大兵をもって突破しようとしても価値が少ない。したがって敵を消耗させて屈服させなければならない。フランスはすでに多大な損害を受け、耐え得る極限に達している。だからフランス軍がぜひ維持しようとする地点を目標として攻撃すれば、フランス軍は一兵まで戦うかあるいはこれを放棄して屈服するに至るであろう。

目標を攻略すると否とは最大の問題ではない。最大の目的は兵力資源の枯渇によって屈服させることにある」
ドイツ軍参謀総長ファルケンハイン



「ドイツ軍砲兵は甚だ多数にして、その火光はあたかも花火のようであり、我が砲兵の射弾をどこに標定すべきか困惑した。」
フランス軍のある空中観測者、ドイツ軍ヴェルダン攻撃初日



1916年5月25日
「深く愛するご両親様!

私からのこの便りをお受け取りになったら、その時は私はもはや私はこの世にいないでしょうから、ご両親さまはきっと厳しい苦悩に襲われることでしょう。それはよく分かりますが、ひとつお願いがあります。私のために嘆かないでください。私を悼んでください。しかし静かに落ち着いていてください。あなた方も、苦悩に堪え得るドイツ人だということを示して下さい。持っている最も貴重なものを、我々の光輝ある祖国という最も貴重なもののために捧げるドイツ人だということを。

さまざまな悲しい経験や報道を受けているにもかかわらず、やっぱり私は将来を信じます。新しい、より大きな、よりよい祖国のために私は喜んで若い命を捧げます。」
ドイツ学徒兵ハインツ・ポールマン、6月1日ヴェルダン前面ル・モルトンム(死人山)にて戦死



「愛するお母さんとメーに

この手紙がお手元に届いたならばそれは私に不幸が起こり、家に凶事があったということの知らせになります。しかしなにとぞ元気を出されて、天が我々に下したこの新しい試練に打ち勝ってください。
これが私を喜ばして下さる唯一の途です。私は非常な侵略を蒙った我がフランスを救うために死んだのです。」
フランス兵マルセル・クラロ、7月28日ヴェルダン前面にて戦死



「愛するご両親様! 僕は腹部銃創を受けて戦場に倒れています。死ぬに違いないと思います。
天に帰る準備をする暇がまだ少しあるのを喜んでいます。愛するご両親様! ありがとうございました。ご機嫌よく。」
ヨハンネス・ハンス、1916年6月1日ヴェルダンにて戦死



1916年10月22日
「兄上様 

本書は多分最後の手紙でしょう。今朝10時には自動車でヴェルダンに向かって出発し、今晩は多分戦線に立つことになりましょう。23日中にはドォーモン堡塁奪取の攻撃開始せられるべく、私も立派な働きをするつもりです。堡塁はきっと占領します、そしてこれを確保します。ドイツ人の奴らもとっちめてやります。」
ランス兵イザック・ビスムート軍曹、10月22日ドォーモン堡塁にて戦死



「その砲声の猛烈なること言語に絶し、日露戦争中において耳にしたる最も猛烈なりし銃声をことごとく砲声に変したる感を真実懐かしめたり。」
1917年ニヴェル攻勢における日本軍観戦武官の報告



「…これが最後の津波だ。いよいよ戦争の総決算だ。あらゆる交戦国の運命に否応なしに判決が下る。私には…もちろんその時の感じにすぎないけれども大事な時だという気持ちが胸いっぱいになった。誰だってこの瞬間には一身を潔く捧げる気持ちになったに違いない。そしてこの厳粛な場面を体験した者は国民の運命が結局、一会戦の勝敗によって浮かびもし沈みもするものだとはっきり自覚したに違いない。」
ドイツ兵エルンスト・ユンガー、ドイツ春季大攻勢時



「ドイツ軍は最大の努力をもって我に殺到してきた。敵の企図は英仏軍を分断してパリに通じる諸道路を占領せんとするにあることは明瞭である。我々は死力を尽くして敵の前進を拒止しなければならない。いったん占領した陣地は固守して放棄してはならない。諸子の戦友は今や戦場に到着しつつある。これらの部隊は集結を終えたら敵に向かい、突進すべし。

今や大会戦は開かれた。

マルヌおよびヴェルダンの名将勇卒よ、私は諸子の勇猛果敢に信頼し成功を確信して疑わない。フランスの興亡は実にこの一挙にあり。」
フランス軍総司令官ペタン、1918年3月25日の訓令(『西方戦場に於ける作戦』)、ドイツ春季大攻勢時



「私はこの年になるまで世の中の大きな事実を知りませんでした。フランスと自由に対するその理想とは私の思想に合致しているので、私はこのために犠牲となることを私の誇りとします。

もし私もまた多くの人のように白熱する戦闘の中で死すべき運命を持っているならば、私は神に対してただ一つお願いがあります。それは敗走するドイツ兵を見るまでは死にたくない、ということです。この願いさえ叶えられればその後は軍人らしく敵に直面して喜んで死にます。」
フランス兵ピエール・ヴィオル少尉、1918年10月26日戦死



「私はこのごろ一度敵と空戦を行うと、非常に疲労をおぼえ、情けないほど意気消沈するようになった。これは明らかに頭部の負傷の後遺症のせいだ。戦闘後着陸して足が地に触れるや否や、私は誰とも会って話す気になれず、すぐ一人自室に引きこもる。そしてこの戦争は国民が歓声を上げて勝利を期待しているような情勢にあるのだろうかと、一人思いに沈むのだ。国民の楽観とは反対に、前途は暗澹たるものがあるように思えてならない。」
撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン、1918年4月21日戦死



1918年5月1日
「数日の行軍の間、眼に見るものとては、ただ戦慄を覚えさす荒廃のみだった。木の切り株に打ちつけられた板に、灰燼に帰した村の名前が書いてあった。一つの石も、一つの茂みも、一本の木も、かつての幸福と繁栄を語っているものは何もなかった。――ただ名前だけが残っていた。」
ドイツ学徒兵オットー・ミヒュルス、7月2日戦死



「8月8日は本大戦中、ドイツ軍暗黒の日だった。9月15日以来ブルガリア方面の戦線が崩壊した結果ついに4国同盟の運命を決した時期を除いてはこの時ほど困難な状況はなかった。」
ルーデンドルフ(『西方戦場に於ける作戦』)



1918年10月2日
「僕らは今また移動します。それでほとんど休む間がありません。『さがれ、さがれ、ドン・ロドリゴ!』いつも退却とは、情けないことです。政治的な見通しは悪化しています。しかし、こんなに比類なく勇ましく戦った国民が滅びなければならないということは信じられません。」
ドイツ学徒兵ゴットフリート・シュミット、10月31日戦死



「敵は我が猛烈なる攻撃のため全線退却を開始した。連合軍は須らく鋭意攻撃を敢行し、敵を壊乱に陥らせなければならない。予は、各国軍総司令官及びその部下の気力と果断とにより決勝を獲得せんとす。」
連合軍総司令官フェルデナン・フォッシュ



「私たちは祖国のために神聖な死を遂げた人たちを追憶すると同時に、粋然たるドイツ魂の擁護が私たちの双肩に懸っていることを自覚するものである。祖国の歴史のため、祖国の将来のために、私たちは毅然として立つ。外から侵害が来ようとも、またうちに破壊の芽が萌そうとも、冴えた刃が奥底に秘められている間は、ドイツは滅びない。ドイツは厳存する。」
ドイツ兵エルンスト・ユンガー少尉、1918年9月22日プール・ル・メリット受勲



「欧州大戦、なかでも西部戦線は一大戦闘方法の研究所たる感があった。これはドイツ軍、イギリス軍、フランス軍なる3名の技師の競争試験場に他ならない。戦前において卓上の議論をもって解決を見ざりし諸問題、または従来有邪無邪のうちに葬られし疑問点などはことごとく俎上に載せられて、その多くは明快なる解答を与えられた。」
日本陸軍参謀本部



「平時においては一国の戦法がほかの諸般の科学技術などと同様、国際的に普及する今日においては旧時のごとく戦法を固定することなく、敵に比べはるかに進歩した思想と方法をもって戦争を指導するにあらざれば偉大なる勝利を期し難きを覚悟しなければならない。このためには国軍に機動以外の急襲を実施するに必要なる準備訓練を施し得る機関を設けることは近代戦に直面するものの看破しなければならない着眼である。」
日本陸軍参謀本部



「ドイツの政策に対して歴史の審判がどう下ろうと、この国が優勢な敵に対し無類の忍耐と熟練をもって、四年間自己を貫いて譲らなかったことは、軍事的、人間的偉業の叙事詩として、惜しみない称賛に値するのである。」
英軍学者リデル・ハート(『第一次世界大戦・下』)



「〈戦争を根絶させるための戦争〉のはずだったあの大戦のあと、パリの講和会議に参集した各国のお偉い方は、どうやらもののみごとに〈平和を破滅させる和平〉を生み出してしまったようである。」
英エジプト遠征軍参謀アーチバルド・ウェイヴェル(『平和を破滅させた和平』)[訳書では参謀長になっているが、おそらく間違い]




出典が書いてあったりなかったり…手紙のやつは『ドイツ戦没学生の手紙』と『仏国戦死軍人絶筆集』かな。
Secret

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