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メモ:第一次大戦におけるイギリス戦車隊の通信方法

戦闘中の戦車が他の戦車と通信連絡の手段を欠いていることは、困ったことの一つであった。一度戦車の内部に入ってしまうと、すぐ近傍にある戦車に対しても、天井窓を開けハンカチとか円匙などを振って信号しなければならないのだが、これが実際には命がけの仕事なのである。
[フランク・ミッチェル]、陸軍技術本部訳『戦車戦』(兵用図書、1935年)82-83頁。

British_Mark_IV_Tadpole_tank.jpg



戦車と戦車の連絡
色付きの平円盤や灯りを用いた。戦車の側面に出す。白の円盤一つなら「前へ」「ついてこい」、白の円盤三つなら「集合地に集結せよ」、赤三つなら「戦車大破」など。1917年のアラス戦でこの方法は使えるとされた。
※モリナガ・ヨウ『私家版戦車入門1』(大日本絵画、2016年)57頁で、「詳細不明」と書かれている通信方法。

ただ、天候や戦場の状況で難しい時もある。とくに霧、雨、砂埃、煙幕では見えなくなる。そういうときは直接他車に車長が出向くか、伝令を出す。もっとも勇気ある指揮官は車外に出て先導する。

ロバートソン大尉はそのもっとも勇気ある指揮官の一人で、1917年の第三次イープル戦のときに徒歩で先導した。

敵の射撃は大尉の一身に集まってきた。先頭戦車の戦車長から見ると、敵弾が大尉に命中しないのが奇跡としか思えなかった。が、いよいよ道路にたどり着いて任務を達成しきった途端に、ロバートソン大尉は前額部に貫通銃創を受けてバッタリと倒れてしまった。
ミッチェル『戦車戦』139-140頁。

戦死した大尉にはヴィクトリア十字章が与えられた。


戦車と歩兵との連絡
色付き平円盤と灯かりが用いられた。赤一つなら「危険」ないし「鉄条網が切断されていない」、緑一つなら「ついてこい」ないし「鉄条網が切断されている」、赤一つと緑一つなら「待て」など。

歩兵は、“銃剣付きの小銃を頭の上に掲げて左右に振って”了解の合図を出す。基本的方法として、ヘルメットを銃剣の先につけてまっすぐ上に掲げた。危険だが、大戦を通して使われる。

この方法も他戦車との連絡と同じように不確実なので、ダメなら伝令を出した。

のちに支援すべき歩兵大隊には戦車隊の連絡要員が一人つくようになった。


戦車と司令部との通信
最初ハトが用いられた。フランク・ミッチェルはハトを置く場所がないのでエンジンの上に置いていたら半死半生になっていたと書くが、大戦を通して使われた。1917年になると、オールディス・ランプによるモールス信号が導入され、中継地を通して司令部に伝達された。

1918年アミアン戦からは飛行機による伝達も加わった。戦車の位置を空から確認して、司令部にメモを投下するのである。この方法はハトよりも明らかに早かった。


無線通信
無線通信運用は試行錯誤を重ねたが、実験的域を出なかった。無線機器が繊細で壊れやすいうえに、霧などの天候による影響もうけた。結局、車内では顔を突き合わせた原始的なコミュニケーションが一番有効(怒鳴るか、口笛を吹いて注意を引いた)。戦車と司令部との無線通信では1918年の百日攻勢で使われた続けたが頼りないものだった。

戦車自体の不能を加えた、当時の通信技術の限界は、戦場における戦車の戦術的・作戦的効率に深刻な制約を課した。

「うまい方法で十分な数を運用していれば、1918年の戦いで戦車はもっと決定的な兵器になり得たのでは」という指摘をHallは否定し、英戦車軍団の通信方法の改善の試みを考えていないとする。




Brian Hall, "The Development of Tank Communications in the British Expeditionary Force, 1916-1918."
[フランク・ミッチェル]、陸軍技術本部訳『戦車戦』兵用図書、1935年。



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