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バイオハザード1をやりおえた…というのはどうでもよくて…


・1917年夏のパレスチナのオスマン軍
エンヴェルの構想(というよりも妄想だろうか)では、ドイツ・オスマン混成軍を編成し、隷下にハリル・パシャの第6軍(メソポタミア)と新たに新設する第7軍を加えて、バグダッドの奪還を目指す。第7軍はガリシア、ルーマニア、マケドニアに派兵されていた歴戦の師団によって構成された、オスマン軍最後の戦略予備だった。これらの師団の中にはドイツ軍風に師団内に突撃隊を編成しているものもあった。

1917年6月24日、アレッポにてバグダッド奪還計画について論議するため、エンヴェルはき下の将軍を集めた。アフメト・イゼット・パシャ(カフカス軍集団)、ムスタファ・ケマル・パシャ(第2軍)、ジェマル・パシャ(第4軍)、ハリル・パシャ(第6軍)、Bronsart von Schellendorf(オスマン参謀本部)とそうそうたるメンバーである。

エンヴェル「第7軍を新設し、ハリルの第6軍と合わせてチグリス川にそって攻勢をかけたい。」

ジェマル「第7軍は大事な戦略予備だ。今は攻勢よりも防勢に使いたい。アレッポに置いておいて、カフカス、パレスチナ、メソポタミアと柔軟に対応できるようにしたい。バグダッドに攻勢をかけるのは危険だ。」

エンヴェル「これは決定事項だ。ドイツ軍にも伝えてある。機関銃をどっさり積んだ一個軽師団がドイツからやって来る。ファルケンハイン将軍も直々に来てくれる。」

イゼット「(ジェマル・パシャの言い分に分があると思うが…。)」

ケマル「(ドイツ軍に頼るなど笑止千万だ。)」

ジェマルはコンスタンチノープルの政府にも働き掛けたが、もはや遅かった。ジェマルの頭の中にあったのはガザ・ベルシエバ線がイギリス軍に突破されてしまいないかということだった。パレスチナのイギリス軍はこの頃、司令官をマレイからアレンビーに代えて、戦力を増強し、西部戦線方式の戦法を将兵に学ばせていた。ジェマルの考えでは、バグダッドで攻勢に出るよりこっちの方が問題だ。

ところが遠路遥々やって来た独ファルケンハイン将軍は、オスマン軍の戦況を見るなりバグダッドよりもガザに注目した。彼は電撃軍集団をスエズ運河への攻勢に使いたいと述べた。シナイ・パレスチナ作戦での古株であるジェマルは心配に思えてきたが、バグダッドに頓珍漢な攻勢をかけるよりこっちを重視してくれた方がありがたかった。

1917年7月、ファルケンハインは電撃軍集団(ドイツ側はF軍集団と呼ぶ)の司令官に着任した。軍集団の参謀は皆ドイツ人。期待されていた軽師団だが、来たのは旅団サイズの戦闘団だった。この戦闘団、アジア軍団は歩兵大隊x3、機関銃隊x3、騎兵隊x3、砲兵大隊、砲兵協同航空機、通信専門家、自動輸送車を有していた。特筆すべきは航空隊で、30機ものドイツ航空機とパイロットがいた。

エンヴェルはヨーロッパ戦線のオスマン軍師団をアレッポに集結させ始めた。こうして集められた各師団は第7軍として統括され、エンヴェルの命令によってガザ・ベルシエバ線に配置された。元々パレスチナにいたジェマルの第4軍は解散?し、新たに第8軍が編成された。指揮官は第4軍の参謀長だった独フリードリヒ・クレス・フォン・クレッセンシュタイン将軍である。

第7軍の司令官にはケマルがなったが、彼はドイツの影響力が増大するのを快く思っておらず、オスマン帝国がドイツの植民地状態になってしまわないかと感じていた。参謀をドイツ人だけで固めるようなファルケンハインにケマルは不信感を抱き、数週間後辞表をたたきつけた。結局、第7軍司令官にはフェヴジ・パシャが任命された。(あら~?資料によってケマルの交代時期が異なるぞ・・・同じ人の本なのになあ(汗 Gallipoli and the Middle East 1914-1918はちょっとはっちゃけて書いたのかな?)

パレスチナのオスマン軍は大体4万ほどになっていた。各師団の人員は50%しかいなかった。

オスマン軍はイギリス軍が今度もまたガザに攻撃をかけてくるものと信じていた。理由は補給線である。イギリス軍は海岸に沿って鉄道線を敷いていた。この認識は彼の有名なリチャード・マイナーツヘイゲンの偽造文書(といっても日本ではほとんど知られていないが)によって強められた。(イギリス軍の情報参謀マイナーツヘイゲンがガザに主攻をかけると記した偽の書類を敵に渡るようわざと落とした。映画『砂漠の勇者』ではこのシーンが出てくる。後のオーバーロード作戦でもイギリス軍はこんなことしてるよね、たしか。)

イギリス軍の真目標であるベルシエバには、イスメット大佐(イスメットは後のイスメット・イノシュ。Gallipoli and the Middle East 1914-1918 p.177では、アフメト・イゼット・パシャになっているが、おそらく間違い。)の第3軍団(第27師団、第3騎兵師団)が配置された。しかしこれでは不安なのでベルシエバ付近に第19師団(ガリポリ戦でケマルが指揮したので有名)と第24師団が配備されたが、ファルケンハインによってベルシエバよりもガザよりの配置に変更された。市自体には4千の兵しかいなかった。

オスマン軍はガザに敵がやってくると完全に信じていた。これは痛恨事となった。このためにエルサレムまでの追撃戦の中で幾多の歴戦の将兵が失われてしまったのだ。
ベルシエバが陥落し、イギリス軍騎兵がガザ後方へと回り込む行動を取ったとき、ファルケンハインは敗北を認識せざるを得なくなった。彼は総退却を命令し、電撃軍集団はエルサレムへと敗走していった。

Gallipoli and the Middle East 1914-1918
Ottoman Army Effectiveness in World War I
Ordered to Die: A History of the Ottoman Army in the First World War
すべてエドワード・J・エリクソン著

Ordered to Dieをとうとう買ってしまった…第2版かと思ったら第1版だった…3部作でちょこちょこ食い違うので直してほしかったなあ。あと地図が少ないのが残念。
Gallipoli and the Middle East 1914-1918は要注意!w これは絶対訂正してほしい。戦況図とかはいいんだけどなあ。

そろそろ本サイトの方に、加筆修正して画像とかつけて掲載したいんだけど、なんか泥沼化しとるなw
背景として1914-1917前半までの作戦を書かないといけないし…ああ、ヨルダン戦に詳しいらしい英軍公刊戦史欲しいし…だめだ、あ た ま が ど う に か し て い る
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