ロレンスは反乱戦術(the tactics of insurgency)の先駆者として広く知られている。しかし、現代のトルコ人歴史家たちは、オスマン軍は機動的なアラブ反乱軍の大部分を無視することで対処することができたのだとしている。ロレンスの仲間たちは前哨基地を襲撃したり、メディナへの鉄道線を破壊したりした。これらの損失はトルコにとって取るに足らないものであり、破壊された鉄道線はアラブ軍が破壊したその日のうちに簡単に修復された。

シリアでの最後の作戦(メギッド戦だろう。WikiP参照のことw)でさえ、トルコ軍はアラブ軍に対して過少の兵力を配置した。イギリス側から見れば、アレンビーは彼の右翼でアシストを行うアラブ軍の失敗にしばしば失望している。

アラブ反乱はアラブ人たちに支援された運動ではない。ゲリラ戦と反乱が組み合わされたものではあったが、魅力的なロレンスは現実には不正規戦と呼ばれるものの専門家の一人だった。
(Edward Erickson『Gallipoli and the Middle East 1914-1918』p.193)

トルコ軍は1916年時、メディナとヘジャーズ鉄道を守るためにわずか数個大隊を配置した(アラブ反乱軍の破壊工作への対応)。1916年の残りの期間、トルコ軍は多少なりとも通常のペースで鉄道をなんとか維持した。
(Edward Erickson『Gallipoli and the Middle East 1914-1918』p.164)


ウィキペディアのアラブ反乱の翻訳記事とは意見を異にしている。自分としては、『近東に於ける前大戦の考察』でのアラブ遊牧民の貶されっぷり(金で動く上にすぐ裏切ると英土両軍から言われる)に感化されて、アラブ反乱についていい印象を持っていないw
その上ロレンスより先にオーストラリア軽騎兵に興味をもったので、ダマスカスに最初に入ったのは豪軽騎兵なのに、ロレンスが自分たちが先に入城したとぬかすとか癇癪起こる!!となる。

ロレンスより南アフリカの独フォン・レットウの作戦のほうが賞賛されるべきと思ってしまうのだけれど、どうだろうか。
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