ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2015.06.14 (日)
前回のあらすじ



バグダードをイギリス軍が占領して以来メソポタミアでは小競り合いをくりかえしていた。1918年3月時点でオスマン軍はなにも変わっていなかった。第6軍司令官ハリル・パシャは増援を受けとっておらず、脱走、病気、イギリス軍との戦闘で継続的に戦力をすり減らしていた。一方のイギリス軍の方は、1917年12月18日に司令官のモード将軍がなんとチフスで病死してしまい、かわりにマーシャル将軍が指揮を取った。

イギリス軍は1918年3月より前進しはじめ、英軍の右翼に展開する土第13軍団を側面攻撃した。4月末まで攻撃をつづけたものの、実りは少なかった。ここでルーデンドルフ攻勢の余波がメソポタミアにもやってくる。メソポタミアの英軍は西部戦線への増援のために戦力を引き抜かれ、そのため攻勢をやめた。

戦力に隔絶の差があるオスマン軍としては僥倖であった。かれらは1918年に入ってから食料の不足に悩まされ、悲惨な状態で夏季を過ごした。7月、ハリル・パシャはカフカース軍集団に転任となり、第6軍司令官には第13軍団長のアリ・イフサン・パシャがなった。1918年10月時点で第6軍は小銃8,000、火砲50、騎兵300を越えず、食料は不足しており、飛行機もなく、まったくひどい状態だった。

1918年10月、オスマン帝国降伏の気配を嗅ぎつけたイギリス政府は、メソポタミアのイギリス軍に火事場泥棒的に攻勢を命じた。マーシャル将軍は2コ歩兵師団を主力として10月23日より包囲攻撃をかけ、オスマン軍を敗走させて10,000以上の兵を捕虜に取った。11月1日、イギリス騎兵旅団がモースルを占領。オスマン第6軍と同第13軍団はいまだ健在であったが、休戦条約が結ばれ、メソポタミアにおける戦争も終了した。



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