スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ガリポリ 2009.07.30 (木)
Ottoman Army Effectiveness in World War I p.21
8ヶ月間以上、オスマン軍参謀本部の訓練の下で、堅固な歩兵部隊を予期される侵攻海岸を守るために置き、大規模な予備隊を海岸背後の防護された場所に位置する、という包括的な計画が進展し実行された。主目的は敵の上陸を遅らすこと、そしてそれから彼らを海に追い落とすために反撃を行うことだった。

オスマン軍の配置はザンデルスに非難されている。彼の認識では、防備は馬鹿げた配置で誤って準備されていた。彼は特に反撃のために利用できる予備隊数を酷評している。
実際には、オスマン軍の防備は1915年3月26日のザンデルスの到着前に全く強固になっており、良い位置に配備された予備隊の実体のある数を含んでいた。1915年3月26日には、即応予備として20個歩兵大隊がいた。

ガリポリでのオスマン軍はお粗末な訓練とひどい戦闘準備だったという見解が存在する。確かにドイツやイギリスと同じくらい有能ではなかったという事例は作れる。それにもかかわらず、1915年春までの、第3軍団配下の師団はとてもよく訓練されていた。

Ottoman Army Effectiveness in World War I p.188(脚注)
ケマルがバルカン戦争時に戦闘任務に就いていたことはよく忘れられるし、1913年ガリポリ半島で軍団レベルの作戦士官として働いていたことは一般に知られていない。

「3月26日での5個師団の配置は完全に改められなければならなかった。彼らは特異な信念で配置され、海岸全体にそって分配されていた・・・強力でエネルギッシュな前進を阻止する予備がなかった。」とザンデルスは断言している。この神話は、後に続く西洋の著述家全員によって不朽のものとなった。例えばチャーチルの『The World Crisis』p.414(邦訳知らないよん、ページは原著でのものね)、ムーアヘッド『ガリポリ』p.104、ジェームスの『Gallipoli』(これは邦訳ないだろう)がある。もっとも最近の例としては、トラヴァースTraversの『Gallipoli 1915』p.38-39。オスマン軍の防御組織は、効果的な防御のためには広く分散して部隊をばらまいていたとトラヴァースは言っている。(Tim Traversはトルコ語ソースも使ってgallipoli 1915を書いているようだけど、エリクソン氏とは意見を異にしてるようだ。)



Ottoman Army Effectiveness in World War I は全体的に、ドイツの影響は微々たるものだったんだぜ、と言っているような気がする。1914年ドイツ軍事顧問団の影響についても、元々1880年代からドイツ式でやってるのだから(日本と同じように)、似てるのはしょうがないみたいな。大体そんなに短い期間で改善できネーよ。バルカン戦争での戦訓をもとに参謀総長、それからエンヴェルの改革がうまく行ったんだよと。あと軍学校にドイツ軍人が配置されてないとかね。

実際、トルコが世界大戦前に伊土戦争、バルカン戦争とドンパチやってたのは注目していたほうがいいのかもしれない。ただ、エリクソン氏はトルコを擁護しすぎなような気がしないでもないのだけれどね・・・

ガリポリ戦だと、戦前から(1912年あたり)近代的な防御計画が存在し、第1次大戦勃発後の計画をそれに似た感じになっているとしている。まあ改善・変更もあるけど。

とにかくほかの著作も読みたいね。order to dieは第2版が早く出ればいいな。
Secret

TrackBackURL
→http://hikasuke333.blog113.fc2.com/tb.php/32-b10f5c3f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。