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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.08.05 (火)
1916年5月、エンヴェル・パシャはバグダードまで出張してハリル・パシャと会い、ペルシャに対する攻勢を再開するよう要請した。すなわち第2次ペルシャ遠征である。

メソポタミアのオスマン第6軍第13軍団の第35師団と第52師団を、第18軍団の指揮下にうつし、第13軍団にはカフカースからの援軍である第2、第4、第6師団が入れられた。第13軍団はほかに1コ独立騎兵旅団、数コ不正規部隊、ペルシャ愛国義勇兵を指揮下に入れ、兵約25,000を算した。これでロシア保護下にあるペルシャを征服しようというのである。

第13軍団長アリ・イーサン・パシャは5月下旬ペルシャ国境に兵を集中しはじめた。ロシア軍は機敏にこれを捉えて先制攻撃をかけた。6月3日、バラトフ率いるロシア軍はHankinの街にいる土第6師団を包囲せんとこころみたが、包囲翼の騎兵部隊が撃退されて退却した。勢いにのるアリ・イーサン・パシャは8日第6師団をもってペルシャ国境を越えた。

第13軍団の3コ師団はゲリボルのベテランで、またカフカースで苦杯をなめた古参揃いである。第13軍団主力、第2、第6師団はKermansahの山道を進撃し、北方左翼の第4師団はスレイマニエよりSineおよびKurveにむかい東進した。第4師団は数コペルシャ義勇兵大隊をくわえ、モースル集団と号している。

6月28日、土軍主力はKarind付近のロシア軍を攻撃して奏功した。アリ・イーサン・パシャはいまやペルシャ国境より150キロ以上も進撃していた。ロシア軍は退却をつづけ、Hamadanに集結した。第13軍団主力は8月1日Hamadan付近に到着し、少しばかり編成を調整してから攻撃をかけた。Hamadan付近における6日間の戦闘ののち、街はオスマン軍が攻め落とした。バラトフはさらに100キロ退却して山に拠って援軍の到着を待った。

ここのまでの戦闘で第13軍団の損害は軽微だった。しかしコレラやチフスによって数千もの病死者を出している。軍団主力(2D、6D)はHamadanに位置し、モースル集団(4D)はスレイマニエより広く前線に騎兵幕を展開していた。3コ師団は広く分散し、しかもペルシャ義勇兵は思ったよりも集まらなかった。慎重なアリ・イーサン・パシャはペルシャ征服に十分な兵力ではないと判断、進撃をやめて増援を待つことにした。



いまさらですが

土=土耳古=トルコ

です。オスマンの当て字は戦前日本で有名なものはなく、そもそもトルコ(土耳古)とかトルコ帝国と言われていたようです。なので土で略します。



Ordered to die
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