スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.07.22 (火)
カフカースの決定的な敗北のあと、オスマン軍はカフカースの軍隊の改編を始めた。第2軍と第3軍の協同がうまくいかなったことから、さらに上級のアナトリア軍集団が新設されアフメト・イッゼト・パシャが指揮をとることになった。空いた第2軍司令官にはムスタファ・ケマルが累進した。かれのゲリボルでの師団長、集団長としての指揮ぶりは卓越しており、カフカースの第16軍団でもその才能をいかんなく発揮した。そしていまや第2軍司令官にまで登りつめた。

第3軍は、紙上では、13コ師団と1コ騎兵師団を有していたが、実戦力で約20,000しかいなかった。9月4日、エンヴェルは第3軍の改編のコンセプトを承認した。13日、ヴェヒプ・パシャはこれに手を加え、あたらしい部隊に"カフカース"の名称を付け加えた。敗北の汚名を払拭し新名称で部隊に箔をつけようと望んだためである。

第5、第9、第10、第11軍団司令部は第1、第2カフカース軍団司令部へと改編された。第13師団は第5カフカース師団、第28師団は第9カフカース師団、第30および第33師団は第10および第11カフカース師団にそれぞれ改編された。第36師団はそのまま第36カフカース師団へと名称を変更し、独立歩兵連隊より第49カフカース師団が新編された。そして沿岸部隊より第37カフカース師団が編成された。あたらしい"カフカース"師団は定員6,000とする小型師団となった。

第9、第10、第17、第18、第29、第31、第32、第34師団は解散し、8コ師団がオスマン軍の戦闘序列から姿を消すこととなった。人員物資はカフカース師団に当てられた。第3軍の歩兵部隊は完全に充足し、野戦砲兵もまた野砲(もしくは山砲)18-20で再編成された。騎兵は集成して第2カフカース騎兵旅団として編成された。

第1カフカース軍団はYusuf Izzet Pasa(准将)が指揮をとることになり、第2カフカース軍団はFevzi Pasa(准将)が指揮をとることとなった。12月時点での第3軍歩兵戦力は36,382を数え、各師団の戦力は5,000-8,000と多少バラついた。

第2軍は、10月時点で、歩兵戦力64,000を数えた。第2軍地区では、敵対的なクルド人がいたため、一部兵を下げて予備として控置し、クルド人を威嚇した。

軍の編成では、第2軍は3コ軍団に再編成された。すなわち、第4軍団(第11、第12師団)、第2軍団(第1、第47師団)、第16軍団(第5、第8師団)である。過去に栄光の名を飾った第3軍団は解体され、その所属師団のうち第7、第14師団がシリアとメソポタミアに配置転換になった。また、あたらしく第48師団が到着して、第53師団はシリアへ転出していった。総じて、以前よりも弱体化した。


オスマン側の従軍武官であるオーストリア将校のなかには、「オスマン軍は次のロシア軍攻勢に耐えられないのでは」と思う者もいた。しかしカフカースでふたたびロシア軍が大規模攻勢をおこすことはなかった。1917年のロシア革命である。ロシア軍は軍の態を成さなくなり、オスマン軍のほうも攻勢をおこす気力がなく、1918年に至るまでカフカースで大規模な攻勢が行われることはなかった。
Secret

TrackBackURL
→http://hikasuke333.blog113.fc2.com/tb.php/305-d0de3c9c

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。