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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.07.20 (日)
前回のあらすじ



「露軍にも軍団以下の局部作戦にはずいぶん大胆な仕事の仕振りをする将帥がすくなくないのであったが、軍以上になるとどうもこれが膠着的になり、ことに軍団長または師団長として盛名を歌われた人でも昇進して軍司令官になると、やはり同様の平凡な戦法をおこなうようにみえた」

「これを要するに、露軍の団隊将卒は欠点もすくなくないが、戦場の行動に必要なる数種の特長をも具備しているから、これに必要なる訓練を遂げ率いるに名将をもってせば、将来においても有為の軍隊たるを失わぬであろう。沍寒僻遠の地においてことに然りとする」
橋本虎之助中将「対墺作戦に見たる露軍」(偕行社編纂部編『露国陸軍の研究』p.36,47)

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機関銃を構えるロシア兵



ロシア軍の勢いは止まらずエルズルム奪取の利点を生かさんとした。3月、ロシア軍は黒海沿岸のリゼを強襲上陸によって占領した。そのまま進撃をつづけ、4月16日、重要な港であるトラブゾンを占領した。兵站上から考えてもオスマン第3軍地区でもっとも大きな港が失われたのは、致命的だった。増援であるFezi Pasaの第5軍団のうち1コ師団をトラブゾン地区へ送らざるを得なくなった。

第3軍にとって不幸なことに、オスマン参謀本部は3月から4月のあいだ、メソポタミア行きの師団に鉄道列車を最優先に回していた。このときクッテルアマラ包囲戦は佳境をむかえ、イギリスの急援部隊が解囲を試みんとしていた。まさに運命の分かれ目である。カフカースへ向かう部隊は十分に鉄道を使うことができず、第2軍の東方への移動は遅れた。

4月13日、土第3軍司令官ヴェヒプ・パシャは軍の正面を3つの作戦地区に分割した。第1地区は南東正面ディヤルバクル北で、これにはムスタファ・ケマル・パシャ(いつ准将に昇進したのか?)と第16軍団司令部(隷下に2コ師団)に任された。中央の第2地区は、第10軍団長Yusuf Ziya Pasaが指揮し、第9軍団、第11軍団、第2常設騎兵師団もここに入れられた。第3地区は北の黒海沿岸で、フェヴジ・パシャFevzi Pasaと第5軍団がこれを引き受けた。フェヴジ・パシャは2コ師団を隷下に置き、またラジスタンや沿岸の守備部隊の残余も指揮下に入れられた。

1916年4月28日時点の土第3軍の戦力は以下のとおり。兵66,786、小銃45,135、機関銃91、火砲108。
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