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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.07.18 (金)
前回のあらすじ



エンヴェルが凶報を受けとったのはちょうどアレッポにいたときだった。彼はすぐに東方への増援スケジュールを早めさせた。第5軍団(第10師団、第13師団)は東方への即時移動を命令された。ワン湖地区およびラジスタン正面からの報告でも同様にきびしく、ロシア軍による大規模攻勢の兆項ありとあった。

もはやゲルボルの勝利は吹き飛んでいた。抑えきれぬエンヴェルは「第3軍の士気は最悪にあるが、本官は第5軍団歴戦の歩兵諸君が防御の巧手としてふるまうことを承知している」と第5軍団を激励した。

2月27日、エンヴェルは第3軍司令官マフムート・キャーミル・パシャを解任し、臨時司令官として第6軍団長アブドゥルカリム・パシャに指揮をとらせた。第2軍司令官でゲリボルの戦闘経験者でもあるメフメト・ヴェヒプ・パシャ(准将)はすぐにトラキアを出発し、第3軍の指揮を引き受けるよう命令された。ヴェヒプ・パシャの最重要任務は最悪の状態にある第3軍を立て直すことだった。第3軍参謀長はドイツ人のGuse少佐(このころ大尉より昇進していた)が引きつづき務めた。

臨時軍司令官が直面した状況はきびしいものだった。2月23日時点でオスマン第3軍は歩兵25,500、機関銃76、火砲84のみが使用可能だったのである。くわえて、病院や兵站支援も兼ね備えていたエルズルム要塞の失陥は作戦遂行に多大な影響を与えていた。とくに8,000-10,000の病者負傷者に対して利用できる医療品がほとんどなかった。第3軍司令部自体エルズルムから追い出されて悲惨な状態で交通線を再建しなければならなかった。ヴェヒプ・パシャは3月16日到着した。

エルズルムの喪失は、オスマン帝国の戦争遂行に関する戦略方針に決定的影響を与えた。カフカースの戦略・作戦上の状況は画餅に帰し崩壊へと至りつつあることは、いまやエンヴェルと参謀本部にとって明らかだった。第5軍団にくわえて7コ師団が移送されることになったが、第3軍司令部が全部指揮下に置くことは負担が多すぎた。3月、エンヴェルはアフメト・イッゼト・パシャ指揮下の第2軍司令部をトラキアからディヤルバクルに配置転換することを決定する。この第2軍がロシア軍を側面よりシバキあげて失った土地を取りもどすとエンヴェルは想定していた。

3月22日、第2軍司令部の先行員が東方へ移動した。オスマン参謀本部は、7月初めには第2軍が作戦をとれるよう望んでいた。さらなる増援として第16軍団(第5師団)が新編成され、指揮官にムスタファ・ケマル大佐が当てられた。3月10日、軍団は東方へ行き第2軍指揮下に入るよう命令された。8月までに、第2軍は4コ軍団、10コ師団を擁するまでに成長していた。



1916年、オスマン軍決戦の夏ですね(^o^)

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