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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.06.24 (火)
1916年は第1次大戦におけるオスマン帝国絶頂の年である。かれらは1915年にうしなわれた戦略的主導権を奪還せんと試み、大勝利を勝ち取り、そして大敗北を喫した。

1916年1月、連合軍のゲリボル撤退によりオスマン軍はチャナッカレ戦役に勝利した。これにより数十万もの兵力が転用可能になった。慎重派の参謀将校の考えは、チャナッカレの戦闘で疲れきった第5軍の将兵を休養させ戦力回復につとめるべきであるという意見だった。

しかし、エンヴェルはそう考えなかった。かれはドイツ軍の要請に応えてヨーロッパに援軍を送ることを決定する。中央同盟国のためハンガリー、ルーマニア、マケドニアに7コ優良師団が派遣され、オスマン帝国にとって作戦の代価はとても高くついた。

1916年のエンヴェルの最優先戦略方針はカフカースに大部隊を集結させ、ロシア軍を撃滅することだった。しかし配置転換は遅々として進まなかった。このため、ロシア軍に先制されて第3軍が壊滅し、エルズルム、トラブゾン(ロシア名トレビゾンド)、エルジンカンを失陥することになる。

移動が遅れたのは貧弱な鉄道線のせいである。思えば、第1次大戦中にドイツ軍が4つの戦役に勝利したのも鉄道移動のおかげである。筋力とは一線を画す鉄道のあるなしが戦勢をわけた。もしもオスマン軍が大戦中にも鉄道建設にもっと努力をかたむけていたなら、もっと戦況にあった行動ができたかもしれない。
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