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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.04.25 (金)
書いてる途中で「ガリポリだけ戦術次元くわしく書いても意味ないんじゃ?」と気付いてしまった。



・概説
1914年、東部戦線で独墺軍に相対するロシア軍はカフカース戦役を負担に感じており、イギリスにこの圧力を和らげてもらえるよう要請した。イギリス側はこれに応えるため海軍によるダーダネルス海峡強行突破が計画された。イギリス政府はコンスタンティノープルを目標としてガリポリ半島攻撃を決定、1915年2月を期し海軍による攻撃を準備した。

一方、オスマン側では1914年8月の動員よりガリポリ半島には最精鋭が配置され、バルカン戦争の戦闘経験者が優先的に配属された。半島防衛にはバルカン戦争で勇名をはせたエサト・パシャ指揮下の第3軍団が置かれ、集中の遅いオスマン軍の中では異例ともいえる予定通りの22日で動員を完結した。ダーダネルスの要塞はジェヴァト・ベイ指揮下のチャナッカレ要塞地区司令部が統括していた。

1914年11月3日のイギリス海軍による襲撃はダーダネルス海峡の重要さをオスマン軍に認識させ、ドイツ軍砲兵部隊を含む多数の火砲が運び込まれた。1915年2月19日、英仏連合艦隊はガリポリ半島南端および対岸砲に対して砲撃。ついで25日に第2回攻撃、3月より断続的に攻撃した。3月18日に攻撃は最高潮に達したが英仏艦隊は戦艦3隻沈没を含む大損害をこうむって失敗し、これにより陸軍による上陸作戦計画にうつった。

1915年4月25日、英仏連合軍はチャナッカレ地域において強行上陸を開始、キリット・バヒル要塞占領を目的とし、一部をもってサロスおよびアジア側クムカレに牽制上陸、主力をもってアルブルヌおよびガリポリ半島南端に上陸した。

オスマン軍はチャナッカレ地域の野戦軍としてに新たにザンデルス・パシャ指揮下の第5軍をすえて連合軍を迎え撃った。アルブルヌ方面ではムスタファ・ケマル・ベイ指揮下の第19師団が果敢な攻撃によってアンザックを橋頭堡に閉じ込めることに成功し、半島南端方面ではハリル・サミ・ベイ指揮下の第9師団が英第29師団の進出をなんとか食い止めた。


いまここに4月25日における戦闘をオスマン側に寄りながら再現してみる。参考文献はこの記事に一括して記す。



イギリス軍の構想

オスマン軍の配備状況

サロス湾における陽動

クムカレにおける牽制

アルブルヌの戦い

ヘレス岬の戦い



田尻昌次『千九百十五年 ガリポリに於ける上陸作戦』
Edward Erickson, Ordered to Die: A History of the Ottoman Army in the First World War
Edward Erickson, Mustafa Kemal Ataturk
Edward Erickson, Ottoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study
The turkish general staff, A brief history of the Canakkale campaign in the first world war (トルコ公刊戦史)
The turkish general staff, The dardanelles campaign :A short history of turksih operations in the great war (旧トルコ公刊戦史)
H.B.Danisman, Gallipoli 1915 Day one plus...
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