ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.04.25 (金)
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アンザック軍団の任務は以下のとおりである。

「カバテペ岬北方海岸に上陸してオスマン軍兵力をこの方面に牽制し、その後マルテペに前進して半島の北部および南部を遮断すべし」


オスマン軍の第27歩兵連隊第2大隊は、のちにアンザック湾と呼ばれるようになるあたりを守備していた。大隊のうち3コ中隊は沿岸に貼り付け、1コ中隊が即応予備として配置についていた。大隊の指揮官はイスメット大尉である。2時30分、オスマン第27連隊第2大隊の第8中隊はイギリス軍が上陸準備中であると報告した。

3時30分、アンザック船団は海岸より2,3マイルに到着し短艇による航進にうつった。4時、日が昇りだす。4時20分より接近中の短艇に対しオスマン兵が小銃火を加え始めた。5分後、砲火も加わりアンザックを苦しめるが彼らはかまわず上陸した。5時、アンザックがアルブルヌに上陸中との報が土第3軍団につたえられた。

5時30分までにアンザック上陸援護隊(オーストラリア第3歩兵旅団、1500名)が上陸完了。7時20分までにさらに4000名が上陸、総数8000を数えた。隊伍の整頓・掌握ならずして速やかに前進し、部隊が乱れたままにあった。8時30分までに錯雑する山地を約1マイル前進し、ここに塹壕を構えて主力の上陸を待った。

アンザックは敵放火に悩まされつつ、錯綜する地形で戦った。漸次第2旅団はシュラブル峡谷を越えて第3旅団の右翼に、第1旅団は第3旅団の左翼に進出した。戦線右翼はカバ・テペ北方約1マイルに、左翼はフィッシャーメン・ハッツの高地にあり。



オスマン第27連隊はエジェアバトに駐屯していた。第9師団隷下の該連隊は24日の夜間訓練のあとみな寝ついたころだった。とつぜん砲声が聞こえ出した。第27連隊長セフィク中佐は跳ね起きて連隊に呼集をかけた。

土第27連隊長セフィクよりカバテペ観測所へ通信。

「君らの方から砲声がしないか? 一体どうなっている?」
「アルブルヌに敵が上陸しています」
「カバテペを攻撃してきているのか?」
「いいえ、これまでのところありません」

5分10分たつうちに大隊長、中隊長より準備完了の報告が届いてきた。セフィクは師団より出動命令を待ったがこない。いてもたってもいられず師団参謀部へ電話をかけた。出たのは師団参謀長のHulusi Beyである。

「敵がアルブルヌに上陸中であります。わが連隊は準備完了しております」
「貴官はそう命令があったときだけ動くように。命令を待て」

アルブルヌ周辺の海岸を守備していたのはセフィクの連隊の第2大隊である。小銃と機関銃の音が聞こえる。大規模な攻撃を受けているであろう第2大隊の運命を考えるや、セフィクには我慢ができなかった。もう一度師団司令部に電話をかけて催促した。

「Hulusi Bey! われわれの戦友は猛攻を受けています。まだ待つのですか? わが連隊は前進命令をうける準備ができています」
「セフィク・ベイ! この上陸が単なる陽動ではないのかほかへ真の上陸が来るのかどうか、どうやって知ることができる? 状況が完全に明らかになるまえにどう前進命令を出せというのだ?」
「お慈悲を、どうかすみやかに状況を明らかにして我々に命令を与えてください!」

夜が明け日が昇りだした。砲声が断続的に聞こえ、小銃音も途絶えることはなかった。

5時、第9師団長は第27連隊に待ちに待った命令を下した。

「イギリス軍がアルブルヌおよびカバテペの海岸において上陸中である。第27連隊は、Camburnuの山砲兵を指揮下におき、カバテペにむかって前進すべし」

作戦命令書のコピーは第3軍団および第19師団に送られた。午前8時までに第27連隊の2コ大隊(第2大隊は前述の通り沿岸守備)はカバ・テペに向かって前進しているところであった。

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少し時間を戻して、5時30分、第19師団長ムスタファ・ケマル中佐は敵軍上陸の報をうけた。第19師団隷下の第57連隊に出動準備を命令し、さらに彼の騎兵部隊に偵察を命じた。午前7時までに第3軍団の命令は来ておらず、痺れをきらしたケマルは第57連隊を率いて前進を開始。第3軍団にその旨報告し、軍団長は追認した。

ケマルの状況報告のコピーを見た第9師団長ハリル・サミは、第27連隊に第57連隊と協同して戦うよう命令した。

午前9時ごろ、セフィクの斥兵はカバ・テペ付近に進出。敗走してきた第2大隊の兵と邂逅した。10時30分、ついに豪第3旅団と接触した。しかし協同するよう命令されていたため、ケマルの部隊を待った。

9時40分、ケマルはジョンバユルConkbayiriに進出、この地を守備する第27連隊第2大隊の一小隊と接触した。
※ケマルの戦闘報告では、敗走してきた兵となっている。アランムーアヘッド『ガリポリ』に出てくるシーンだろう。

11時、第9師団の騎兵将校がもたらしたセフィクの攻撃計画をもとにケマルは計画を策定。そのコピーは第3軍団に送られた。ケマルのプランの骨子は「まず第27連隊が敵右翼に陽攻し、第57連隊が砲兵と協同して敵左翼を攻撃する」というものである。

オスマン軍の行動

12時、セフィク中佐、第27連隊に攻撃命令、

「獅子のように戦え、侵略者どもを海に追い落とすんだ!」

ケマル、第57連隊に攻撃命令、

「諸君らに期待するのは攻撃ではない、戦死である。諸君らが死につつある間に友軍部隊が陣地に就くことができるのだ」

12時30分から13時、セフィクの散兵が小銃に銃剣をつきたて波のようになって前進した。ケマルの兵も同じように前進した。

この間、ケマルは第77連隊にセフィクの連隊の左側に位置するよう命令。同じく第72連隊には57連隊の右側に位置するよう命令した。

第27連隊と第57連隊(1コ大隊は予備として待機)の攻撃はオーストラリア軍を釘付けにした。オーストラリア軍の8コ大隊に対し4コ大隊(4000名ぐらいだろう)の攻撃でもって豪兵の攻撃意思を挫いたのである。土第27、57連隊の攻撃はアンザック兵を海に追い落とすことはできなかったが、橋頭堡に閉じ込めることはできた。

15時30分、サイプ(Saip)大尉の第77連隊の2コ大隊が左翼に展開中であった(残りの1コ大隊はべつの海岸守備)。ケマルは再度反撃を決断、第27、57両連隊の5コ大隊をもって攻撃を敢行した。1時間後、72連隊の3コ大隊が右翼に配置につき攻撃準備完了した。いまやケマルの手元には10コ大隊があった。対する連合軍は18コ連隊である。

ケマルにとって幸運なことに、連合軍兵はあまりよい陣地に展開していなかった。師団および軍団レベルのリーダーシップの欠如の結果である。イギリスは平時に戦争準備を怠っており、開戦時その軍隊の少数だけが申し分ないといえる程度だった。ガリポリには2線級の将兵が投入されていた。無能な上級将校、経験のない前線将校、やる気だけがとりえの兵と最悪の人選だった。

17時、ケマルは3回目の決死的反撃を敢行した。左翼第27連隊などは「アッラー、アッラー」とさけびつつ突撃し高地を奪い返した。しかし海に追い落とすことはかなわず、オーストラリア第2旅団と第3旅団はオスマン軍の攻撃に耐えた。

ケマルが攻撃にいそしんでいる間、エサト・パシャの第3軍団野戦司令部(エジェアバト)では、即応予備のすべてが敵軍上陸の牽制のために投入され、指揮系統を整理することの必要性が明白となった。ケマル(第19師団長)は第9師団担当地区で戦っていたのである。エサトはケマルをアルブルヌ前線指揮官に任命し、第27連隊を新しく配下に加えた。これでアルブルヌでアンザックと対するムスタファ・ケマル、ヘレス岬で英第29師団に対するハリル・サミと明確に担当が分かれることとなった。

ケマルはさらに夜間攻撃を敢行した。攻撃は各大隊レベルで行われ協調性を欠いたものだったが、アンザック兵に圧力を与え続けた。一日の間に英軍は2万4千のうち、2万を上陸できていた。しかし砲兵支援のもとで密集歩兵突撃を敢行しつづける敵兵に根負けしつつあった。

バードウッド将軍は悲鳴にも似た報告をあげた。

「オーストラリア軍はいまや多大なる損害のため兵力減少し、生存している者でも疲労困憊の極度に達しております。現状より察するに、いま数刻の砲撃を受け、もしくはいま一回の猛襲を蒙れば惨敗収容の途なきにいたるでしょう。もし断然軍を撤退するには、即時作業を開始しなければなりません。この際いかなる処置をとるべきでしょうか。陸上にいる者はみな撤退の一択に意見一致しています」

ハミルトン将軍はこの処置の判定に苦しみ、万策つきて海軍のサースビー少将に意見を聞いた。少将曰く、

「アンザックは多大なる困難を冒して上陸を敢行した勇者です。ただ死を期して現陣地を固守させるのみ」

ハミルトン将軍もこれに同意し、あらたな命令を下した。

「諸君はもっとも困難なる任務を生きぬいている。いまからわれらの安全が確保されるまで、諸君らの任務は塹壕を掘り、塹壕を掘り、そして塹壕を掘ることだ」



翌日以降も英土両軍の激戦がくりひろげられたがついに戦線がおおきく動くことはなかった。


両軍の損害についてくわしくは分からないが、Danismanは第27連隊の2コ大隊のうち初日だけで950名うしない戦闘員の半分をうしなったと述べいてる。

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