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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.04.01 (火)
アフガニスタンからペルシャ湾、イラク国をへてイランに入ったのは昭和12年の秋であった。船は満潮のときでなければ遡航しないとのことで、夜半までシャトゥルアラブ河口とおくに停船したので、有名な粘土細工のファオ要塞を遠望することができなかったのは残念であった。

ナツメ、ヤシ林を割って流るるシャトクルアラブ河を船は粛々とさかのぼる。林のなかにまばたく電燈は河面に映じ涼風肌を撫で熱帯の夏を思わしむるのであった。

バスラはわずかに一日の滞在で、バグダード行きの鉄道に乗りこんだ。10月末というのに半ズボンにヘルメットの雄姿だ。列車は砂漠地帯を走る。砂塵が巻き込むのでガラス窓をかたく閉めて、ガラス越しに景色を眺めていた。誰かが

「おやおやこの付近には散兵壕らしいものがたくさんありますよ」

というから覗いてみると数十年の風雨のために原形は留めぬが、かまぼこ型に風化した数線の散兵壕がのこっている。おぼろげながら欧州大戦史を思い出した。たしかではなかったが、

「この付近はドイツとトルコの連合軍が北方から降下し、バスラ方面から進撃した英軍と戦ったところだよ」

「それでも20余年をへていままでそのままよく残っているものですね」

「砂漠のことだからこの付近の住民も別に復旧工事の必要もないのだろう」

などと話しあいながらバグダードに到着した。



樋口正治『自一九一四年至一九一八年 近東に於ける前大戦の考察』p.3-4
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