ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.03.30 (日)
1915年3月時点で、オスマン第3軍は約2.5万(第5派遣隊をふくむ)を有し、エルズルム要塞と交通線をふくめると3.5-4万有していた。騎兵部隊は、第1予備騎兵師団と第2予備騎兵師団とに統合整理された。かれらは合わせて2,000足らずしかいなかった。

サルカミシュの戦いを計画していた合間、エンヴェルは"凡トゥラリズム"にもとづきペルシャ進攻を考えていた。ペルシャの都市に駐在するロシア軍部隊をたたき、あわよくばアゼルバイジャン打通を思案していたのである。

ひどく野心的な案だったが、ワン武装憲兵師団(ジャンダルマ師団)しか投入できなかった。この準軍事兵団は軽装備であり、となりの国へ乱入するよりは国内警備のほうが適していた。

1914年12月15日、ワンジャンダルマ師団は国境を越え、ペルシャの都市Koturを占領した。ロシア軍の反応は早く、タブリスとテヘランを占領するため、数コ師団を送った。

エンヴェルパシャは最初ペルシャ方面の増援として、第1、第5派遣隊を当てようと計画していた。しかしここでサルカミシュの惨敗である。派遣隊は北方に送られた。ジャンダルマの隊員もふんばるが、1915年4月18日にはすべての部隊がペルシャから追い出され、エンヴェルの第1次ペルシャ遠征は失敗におわった。



ま、いっかと思って、サルカミシュ会戦におけるStanke支隊の支作戦をまったく記述していない。
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