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ミリタリー | 趣味・実用 | 戦術 2014.03.07 (金)
「火力が強力になったのなら、むしろ対抗手段として過剰なまでに攻勢を強調して駆り立てるべきだ」

欧州大戦前、列強各国は如何にしてこのような認識にいたったのか。日露戦争における日本軍を主に語る。



「1902年のボーア戦争は兵学界に論争を巻き起こした。戦力に劣るボーア軍が、6週間のうちに3度、2倍以上の戦力を有するイギリス軍を破ったのである。これらの戦闘の特徴は、イギリス軍の長く薄い正面攻撃が有力なるボーア軍散兵線の急射撃に敗れたことにあった。」

火力優勢、隊形もまたより分散させるべきなのか(?)というのが、日露戦争前の各国の見解。散開隊形をさらに分散化させたら中隊長が監督できず兵が真面目に動かないのではないか、という懸念もあった。



「幸いなるかな、日露の戦争はさらに明白に攻撃精神を鼓吹し、かつ正面攻撃も決して不可能なことにあらざるの実証を得たり」
日露戦役ノ実験上ヨリ得タル戦術

「日露戦争において指揮の当否はもっぱら勝敗の機運を定むべきことと、攻者が全滅を期して猛烈に攻撃を行うときはその結果つねに功を奏するにいたることを実験したり」
仏エニッセル大尉「日露戦術鑑」 レファレンスコード C13110546100

『日露戦役ノ実験上ヨリ得タル戦術』には、火戦をもって戦闘が終結することはなく銃剣突撃によってやっと勝利を得ることができたと書いてある。

この点について、参考として1898年版歩兵操典(ほぼドイツ操典のコピーで日清戦争の戦訓を加味してある)を抜粋。

「第232 歩兵戦闘は火力をもって決戦するを常とす。而して火力を十分発揚するには散開隊次にしくものなし。密集隊次を用い射撃するは例外とす」




ところが戦例を統計的に観察した小沼論文、沢田論文は白兵の困難性を記している。

「陣地に拠って真面目に抵抗した敵を師団単位で攻撃したもの39例あり。そのうち攻撃の奏功したものは2,3例にすぎず。
なお、上の39戦例中には得利寺における第2軍の各兵団、橋頭における第12師団などのように敵が側背に脅威を感じ正面戦闘の進捗しないのに先立ち退却したものおよび沙河堡の第3師団、彰関站における第9師団、沙嶺堡における第3軍の各兵団などのように敵の退却作戦間に生じた軽易なる戦闘ならびに十三里台子における第1師団、盖平における第2軍の各兵団などのように敵が随意退却した状態における戦闘などは含まない」
小沼大佐「日露戦争に見る戦闘の実相」付表第1、レファレンスコードC13110414100

「日露戦争においてわが軍の行いし戦闘の大部分は陣地攻撃にして、窮極において敵陣地を占領する結果を得た。しかしその戦闘経過の仔細を考察すれば、敵が真面目に抵抗した場合における陣地攻撃の戦術的成績は香しきものと称し得ず。いま敵が側背の危険を感受して正面戦闘の進展せざるに先立ち退却するもの、および敵の退却作戦間に起こった軽戦等をのぞき、敵が真面目に抵抗した場合における昼間陣地攻撃の戦例を統計的に観察すれば、ほとんど全部は攻撃停滞するかまたは頓挫するものにして成功するものきわめて少なく、敵陣地の一角のみを奪取するものさえ多くない」
小沼大佐「日露戦争に見る戦闘の実相」レファレンスコード C13110413300

「日露戦争においては突撃成功の戦例きわめて少ない。この実施に関して欧州戦争の実験を待つ必要があるが、日露戦で得た狭い実験に徴し陣地突撃の状況を一言するときは、敵前400-500mもしくはそれ以上の距離より一挙に実施した突撃はことごとく途中で失敗し、敵前至近距離にせまり翌日わが砲撃のため敵兵萎縮した機会を利用した場合のみ成功した。けだし日露戦争のように不十分なる砲兵支援のもとに昼間遠距離よりする歩兵の近接は、南山のように敵兵微弱なるかあるいは地形特別に有利な場合にのみ進捗し、しかもこの接敵行動すらその代償として多大な損害を伴った」
参謀本部編(沢田茂 主著)『陣地攻撃』(片岡徹也『軍事の事典』pp.42-3脚注より)

この違いはいかなることによるものなのか?



以下、意見を掲ぐ。











話が少しそれるが、グドマンドソンが「日露戦争の初期戦闘で、惨烈な死傷者数におどろいた日本軍がより広い散兵線を構成するようになったと見た」としているドイツ観戦武官について。

フォン・リュットウィッツ少佐『1905年東亜戦に於ける日本軍の攻撃法』では、第2軍と第4軍は初期戦闘で障害物の平野で戦ったために、この甚だしき損害を避けるよう各兵は5ないし10歩(3.5-7mあたりか)の間隔をとるようになったとある。
レファレンスコードC13110567000

「かくして1000mのところにいたれば通例は射撃を開始し、しかるのち小隊あるいは群毎に長さ10ないし20mの速やかなる躍進を行う。損害増大するや匙(シャベル)を用いるに至る」
フォン・リュットウィッツ少佐『1905年東亜戦に於ける日本軍の攻撃法』

この"より分散化した隊形"は第1次大戦中、西部戦線以外では有効であって、西部戦線の革新的歩兵戦術が流入される前は他戦線で常用されていた。



いま一つ参考に掲げる。
「(日露戦争前の)日本軍は準備砲撃を行いたるのち攻撃するを原則とせしが、開戦と同時にかくのごとくするも敵の砲兵を破壊し得ずして、歩兵の前進間敵砲兵が活動するを体験せり。ここにおいて戦前より原則とせし準備砲撃を廃し、我が歩兵の前進により敵砲兵現出するをもって、このとき我が砲兵は敵砲兵を射撃するを可なりとなし、爾後この意味において歩・砲の協同動作をなすことを重要なる新原則となせり」
参謀本部編『世界大戦ノ戦術的観察』



機関銃と重砲兵の重視
小隊単位の戦闘
歩・砲の協同

は日露戦役において示されている。西方戦場の密集したマス以外に目を向ければ、正しく戦訓が認識されたとみるべきか?



「現行操典のごとく火力の決戦を常態とするときは、動もすれば火力に依頼して勝利の解決をなさんとし、ついに攻撃前進の気勢失わしむるにいたるのところあり。ゆえに改正操典は、火戦は歩兵戦闘の大部分占むるものにして、またこれによりて戦闘の局を結ぶことなきにあらざるも、頑強の敵に対しては断固として白兵を使用し最後の勝利を求めざるべからざるの主旨に修正せんとす」

「散兵線の運動の単位はこれを中隊とすることを明瞭ならしめんとす。しかれども敵の火力猛烈にして○前進いよいよ困難なるときは、散兵線を分割して前進せしむる必要あり。かかる場合においても、小隊より小なる部隊に分割するは概して避くべきこと、および躍進距離は特別の場合に限り30-40mを最下限とし、これよりさらに短縮させるごときは効益少なきこととなさんとす」

「攻撃は勝利を得る唯一の手段なることをとくに攻撃一般の要領の冒頭に記述せんとす」

「現行操典においては、準備せる敵に対する攻撃にあたり、まず砲兵の火力をして敵に優らしむることをつとめ、しかしてこの火力によりはじめて歩兵の攻撃前進を開始せんとするがごとく説○したるも、攻撃における歩砲兵の協同動作に関しては次のごとき主旨に改正せんとす。
歩兵の前進に先立ちわが砲兵の火力によりて敵を全く制圧することは望むところなれども、地形を利用しまたは工事に拠れる敵に対しては適時に砲火の効果を収得し難し。もって歩兵は砲戦の結果を待つことなく前進を企つること、ならびに全く砲兵の援助を欠くも独立して攻撃を遂行すべきこと」
以上、教育総監部「歩兵操典改正要領書」レファレンスコード C06084642500

実戦にもとづき散開の必要を認めているが、散開戦闘は中隊長が指揮すべきとも書いている。

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