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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.03.03 (月)
エンヴェル・パシャは第1派遣隊につづき、エディルネの第2軍団より抽出されたキャーズム・ベイ師団を編成した。指揮するのは第2軍団情報課長だったキャーズム・ベイ中佐である。

師団の編制は以下のとおり
第7歩兵連隊(第3師団より)
第9歩兵連隊(同上)
騎兵隊
野戦病院
輸送隊
2コ砲中隊(山岳榴弾砲大隊より抽出)(以下、第2軍団より)
テレグラフ隊
野戦製パン隊
制服装備修理大隊

師団はメソポタミア上流のテヘラン、メソポタミア下流のバスラ、東方のタブリスのいずれかにおいて作戦を行う準備すべしとの命令が下された。1914年12月19日、部隊はコンスタンティノープルを離れ、鉄道によってアレッポへ移動した。12月25日、師団は第1派遣隊と改称された。

オスマン帝国のお粗末な鉄道システムのため、派遣隊はTaurus Mountains間とOsmaniye Gap間で徒歩行軍しなければならなかった。1915年1月10日、エルズルムの第3軍増援として赴くよう命令が変更された。しかし第5派遣隊が鉄道を利用していたので、オスマン参謀本部はおそらく4月半ばまで移動しないだろうと第1派遣隊に告げた。これをくつがえしたのがエンヴェル・パシャで、1月19日「最初の任務は続いている」と題した命令を送った。第1派遣隊は遠回りしてモスルへ赴き兵員を募った。新たに第44歩兵連隊が追加され、輸送機関も増強された。3月13日、モスルを発し、23日やっとワン市に到着した。
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