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1586年3月16日、小牧戦役。

羽柴軍、織田徳川連合軍の集中中に生起した戦いである。

 羽柴軍将池田勝入の犬山城奪取に呼応して、森長可は兵3,000をともなって羽黒付近八幡林に出撃した。森隊は池田隊と合流しておらず孤立していた。徳川軍は遮掩によりこれを発見。好機と思った家康は酒井忠次隊3,000に攻撃を命じる。

 3月17日夜、奥平信昌隊1,000を先頭として酒井隊は出撃し、翌日黎明を期し攻撃を仕掛けた。森隊あわててこれに応じ、小川をはさんで互いに撃ちあった。松平隊将酒井忠次は言う、

「ここに一人備を置くとは頭のわるい上方武者だ、弓箭の道を知らぬ。平攻めに攻めて討ち取ってしまえ」(注1)

羽黒の戦い!

 森隊の使番、鍋田内蔵允は徒歩兵15名ほどを連れて最前線で指揮していた。「見上げたやつだ、撃ち落とせ」と奥平信昌は言い、たちまち武者10人を招致し、下馬した彼らは鉄砲で狙撃して鍋田内蔵允を撃ち落とした。森隊動揺し隊乱れる。機をみた奥平信昌は騎乗し、突撃を命じた。

羽黒の戦い2!


 奥平隊1,000は小川を渡り、森隊中央へと突っ込んだ。酒井忠次はこれを見て「奥平を討たすな」と言い、兵2,000をもって続いて渡河した。森隊は矢鉄砲でこれに応じた。奥平隊の圧力に耐えきれず、森隊は300mほどうしろの羽黒村まで後退した。ここにさらに酒井隊が左より背後に回ろうとするのを見て、森隊は踏みとどまれず敗走した。

羽黒の戦い3!


森隊救援のために池田隊は出撃し、犬山西南の低地に布陣し羽黒に進んで決戦せんとした。しかし、高地に退き敵が追撃してくるのを待ったほうが良いとする家臣片桐半右衛門の案を了承し、池田勝入は後退を命じた(注2)。松平隊も池田隊を見るもそれ以上進まず、小牧山へと帰陣した。

松平隊の損害不詳、森隊の死者約200名という。




1.「小牧御陣長湫御合戦記」。前半部分原文の意味が取りにくいが、抜けがあるためかさらに意味が取りにくい。
2.「小牧御陣長湫御合戦記」。参謀本部(1908)p.19では、稲葉一鉄が諌めたことになっている。



参考文献
参謀本部編『日本戦史 小牧役』村田書店、1908年/1978年復刻
「小牧御陣長湫御合戦記」、長久手町史編さん委員会『長久手町史 料編六 長久手合戦史料集』長久手町役場、1992年




2013/12/30追記
徳川側の大将は松平家忠隊じゃなくて酒井忠次隊。かんちがいしてた(´・_・`)



2014/01/08
「小牧御陣長湫御合戦記」に基づいて修正。ただし図はそのまま…

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