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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2011.05.15 (日)
セルマン・パク会戦は、1915年11月下旬メソポタミアでの英土軍の戦いである。イギリス側の呼称は「クテシフォンの戦い」だが、主にオスマン寄りの立場に立って記述するのでセルマン・パク会戦と呼称する。



1914年11月イギリス軍、メソポタミアのペルシャ湾河口より上陸。1915年3月、メソポタミア在住のオスマン軍部隊による反攻作戦は失敗し、自軍のあまりの不甲斐なさに腹を立てたオスマン軍指揮官スレイマン・アリケリは自殺した。

イラク地区司令部司令官には新たにヌーレッディン・ベイ大佐が就任した。ヌーレッディンはアラブ語、ドイツ語、ロシア語が話すことができたが、1897年に戦争大学を卒業してからは軍事教育を受けていない。しかし実戦経験は豊富である。1897年希土戦争を始め、1902年マケドニア、1911年イエメン。1914年4月には第4歩兵師団に着任した。1915年4月20日付けでイラク地区司令部司令官となり、メソポタミアへと赴いた。

一方のイギリス軍はチャールズ・タウンゼント将軍率いる第6インド師団にチグチス側に沿って進撃させていた。タウンゼント将軍はアフガンやアフリカなどの数々の植民地戦争に参加した歴戦の将校である。

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タウンゼント率いる第6師団はバグダードへと進撃を開始した。このときのヌーレディンの手元には第35師団と第38師団、そしてアラブ遊牧民騎兵部隊しかいない。第35、38師団は戦前よりメソポタミアに駐屯していた2線級師団で素質が悪く、士気も低かった。オスマン参謀本部はあらたに第18軍団司令部をメソポタミアに送り、カフカースの第1遠征隊を第51師団、第5遠征隊を第52師団に改編させておなじくメソポタミアに向けて南下させた。、さらにバグダードで、ジャンダルマと辺境防衛隊を基幹として第45師団が新規編成された。これらの兵団はメソポタミアの勢力図を大きく変えることとなる。

10月26日、英第6師団がクート正面に現れ、第1次クートの戦いが惹起した。このとき、ヌーレッディンの元に第18軍団はまだ一兵も届いておらず、彼は弱兵をもってこれを守り、兵約4,000もの損害を受けたのちセルマン・パクへと後退していった。

10月29日、セルマン・パクに到着したヌーレッディンは、ここで防御することを決心し、陣地構築を始めた。11月17日、待望の増援―第51師団と第45師団―が到着した。ヌーレディンは散兵壕を2線に編成、第35師団がチグリス川の左岸、第35師団が右岸、増援の第45師団は左岸第1線、第51師団は左岸予備として配置された。左岸翼側にはアラブ遊牧民の騎兵旅団が就いた。このときヌーレッディンは歩兵1万8千、騎兵4百、機関銃19、火砲52を有していた。

11月22日午前6時30分、タウンゼントはセルマン・パク陣地の攻撃を開始した。彼の有する戦力は歩兵1万、5コ砲兵中隊、11コ騎兵中隊である(注1)。タウンゼントはオスマン軍の戦力を歩兵1万ないし1万1千、火砲30門と見積もっていた。



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イギリス軍は砲兵と海軍艦艇の援護のもと、攻撃を開始した。オスマン軍の防御射撃によって大損害を受けながらも、攻撃をやめなかった。午前11時30分、タウンゼントは騎兵旅団に包囲攻撃を命じ、該部隊はこれを敢行したが、オスマン軍騎兵部隊と第51師団にぶつかった。正午ごろにはオスマン軍は陣地の過半を奪取され、第38師団と第45師団は戦闘能力のほとんどを喪失した。

ここでヌーレッディンは右岸第35師団を左岸に移し、さらに予備の第51師団に逆襲を命じて、第2線陣地を回復した。激戦のまま夜にいたり、決戦は次の日に持ち越された。23日、タウンゼントは攻撃を再興。しかしまたもヌーレッディンが逆襲をなして死傷者だけが増えただけでこの日も終わった。24日も損害ばかりが増えて戦線が動かず、両軍指揮官は自軍の損害に焦燥を深めた。このとき、タウンゼントは約4,300の損害を出し(彼の歩兵の40パーセントに相当する!)、ヌーレッディンは約6,100を失っていた(同じく歩兵戦力の30パーセントに当たる)(注2)。

奇妙なことに、両軍指揮官ともに会戦に敗北したと考えた。24日夜、タウンゼントは退却を決定。ヌーレッディンも退却を考えていたが、騎兵部隊より「英軍退却」の報を受け取った。おかしな勝利である!



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オスマン軍は追撃戦で多数のイギリス兵、ならびに砲艦ファイヤーフライ号を鹵獲した。このなかで樋口正治少佐はアラブ人の略奪行為に言及している。ファイヤーフライ号の装備はアラブ人が持ち去ってしまい、ヌーレッディンの軍司令部にしょっ引かれてきたイギリス兵のほとんどは真っ裸であったという。見かねたオスマン軍将校が将校には自分の服を、兵卒には兵卒の服を与えた(注3)。

英軍の退却行はおおむね順調といえるもので、12月3日にはクッテル・アマラに到着した。ここでタウンゼントはこの後の戦役を左右する重大な決断をする。クッテル・アマラ死守を決めたのである。タウンゼントはクッテル・アマラは戦略要点であって、これを守るに有利が点が2つあると考えた。1つにイギリス軍作戦根拠地から離隔していない、2つに交通の要点であるのでここを占領していれば攻防いずれにも有利である。そのうえ、クートには物資が豊富にあった。タウンゼントは、2月初句にはイギリス軍救援部隊かペルシャから進攻するロシア軍部隊が到着するものと考えていたのである。

12月5日、追撃するヌーレッディンはクートを包囲し始めた。世に言う「クッテル・アラマ包囲戦」の始まりである。



オスマン軍の勝因について、トルコ公刊戦史は2つのことに言及する。1つはセルマン・パクの防御計画がよく練られたものであったこと、2つ目は砲兵の活用である。タウンゼントはオスマン軍の2線陣地を抜くことがついに叶わなかったし、防御砲撃に悩まされた(注4)。

樋口正治少佐は次のように書く。

「ヌーレディン・ベイが、一参謀部とトルコ軍数個師団を指揮してここに対抗するにおよんでは、旧式戦闘の方式を一変して新式戦闘方式に移り戦場の空気は一変するにいたった。ことにダルダネルス海峡の戦闘に経験を有するトルコ軍がセルマン・パクの戦闘に参加するにおよんで戦闘は合理的戦役によるようになった」(注5)
(樋口少佐は勘違いしていてガリポリ戦参加兵団は来ていない)

エドワード・エリクソン退役中佐は、1942年8月北アフリカ戦役におけるエル・アラメイン戦、なかんずくアラム・ハルファの戦いとの類似性を指摘する。モントゴメリーは注意深く準備された陣地、相互支援火力、敵側面攻撃に対する機動予備による阻止によって勝利した。この戦いは北アフリカ戦役のターニング・ポイントとなり、セルマン・パク会戦もオスマン軍を刺激する起点となったと(注6)。

セルマン・パクからクッテル・アラマ包囲戦までの戦いは敵攻勢限界点での防御から攻勢移転、そして追撃およびクート包囲。そこから作戦レベルで攻勢をとり、戦術レベルで防御をとって敵の救援行動を破砕するというオスマン軍会心の戦いとなった。その前半戦たるセルマン・パク会戦はイギリス軍にオスマン軍の戦闘能力の高さを見せつけ、怯将弱卒ではなく名将勇卒であることを証明した闘いとなったのである。



注1
タウンゼントの戦力は各資料によって微妙に異なる。文中では、Battles on the Tigris: The Mesopotamian Campaign of the First World War.P62の数字を採っている。ただし歩兵戦力はOttoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study.P76に従い1万とした。 このほか『自一九一四年至一九一八年 近東に於ける前大戦の考察』.P29,によれば小銃8千5百、各種速射砲40となっている。

注2
Ottoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study.P77

注3
『自一九一四年至一九一八年 近東に於ける前大戦の考察』.P32

注4
Ottoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study.P77

注5
『自一九一四年至一九一八年 近東に於ける前大戦の考察』.P33

注6
Ottoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study.P78



参考文献

樋口正治 『自一九一四年至一九一八年 近東に於ける前大戦の考察』
Erickson, Edward. Ordered to Die: A History of the Ottoman Army in the First World War.
Erickson, Edward. Ottoman Army Effectiveness in World War I: A Comparative Study.
Wilcox, Ron. Battles on the Tigris: The Mesopotamian Campaign of the First World War.
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