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ミリタリー | 趣味・実用 | 感想 2011.02.19 (土)
武藤章「クラウゼヴィツと孫子の比較研究」



A級戦犯の武藤章が昭和5年陸軍大学校の専攻学生だったときの論文。本稿は偕行社記事に載せられたが、私が読んだのは自衛隊の中の人がコピーした代物である。



クラウゼヴィッツの有名な文言「戦争とは他の手段をもってする政略の継続なり」もちゃんと引いているし、別段不可思議なことはない。クラウゼヴィッツ、孫子ともに政治の軍事に対する優越性を述べていると書いている。不可思議なのは、のちの武藤中将の言行である。それはそれ、これはこれなのか。



孫子戦争論の差異点について

ともに戦争の本質を基調とするが、
・戦争論は兵学および兵術の学理を究明することに重点を置く。これにより、若干の原則ないし法則を演繹し、その応用は一般学理の理解により適切にさせる。
・孫子は若干の原則ないし法則を挙示し、その応用の極致を教示する。
戦争論は学理に重点を置き、孫子は応用を主眼とし、ともに形式に拘束されることを排する。

戦争論と孫子との表現は西洋哲学と東洋哲学との差異を直に具現している。
・戦争論は、一事項に関し各方面よりこれを観察し、あくまで理論の推移をたどり条理ある結論に達しようとする。
・孫子は、直観的で直下の事物の本体を指示しようとする。

両者の難点はその真意を捕捉するのが困難なことにある。
・戦争論は、哲理の玄妙にして文章が煩瑣(はんさ)。
・孫子は、語簡約にして意きわめて幽遠。

クラウゼヴィッツはフリードリヒ大王の歴史とナポレオン戦争での自らの体験による。これに反し、孫子は自己の体験ではなく黄帝の兵書を祖述したにすぎない。
・戦争論は、純粋観念と現実との調和を計り、学理をして現実性を帯びさせとうと努力し、現実的抽象論を観念の遊戯として排斥した。
・孫子は、理想に過ぎ、やや現実性を欠く傾向あり。

以上より、戦争論と孫子は主眼とするところが同一でなく、したがって説くところは必ずしも一致しない。ゆえに両者の優劣を論ずるがごとき全く無用有害であるのみならず、これを比較研究しようとしても常に必ずしも同一対照を求めることはできない。ゆえにむしろこれを併読し、戦争論にその原理を究め、孫子に応用の妙諦を得ることが必要である。



結論の部では、現代兵学を研究しようとする者は一度過去に翻って考えるべきであると述べている。

マイケル・ハンデル『戦争の達人たち』と読み比べてみると面白いかもしれない。



以下は前の所有者の書き込み。

「クラウゼヴィッツ戦争論」の読解――観念上の「絶対戦争」と現実の戦争「政略の継続」のうち、後者の部分を無視したこと等――が近代兵学、とくに日本の旧陸軍の致命的欠陥との説が強かった。しかし本書を読んでみると、昭和5年陸大専攻学生たる武藤章中佐は既にその説を力説強調しておられる。
問題はむしろ「この卓説が何故軍の主流的見解として採用されなかったのか」という点にありそうである。

この卓説が軍の主流意見とならなかった事情が、今日の陸上自衛隊では果たして払拭されているであろうか。


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