・1917年夏、パレスチナのオスマン軍には突撃隊戦術および軽機関銃が導入さるる。

・1917年10月28日付(英軍攻撃3日前!)、ファルケンハインの命令、フェヴジの第7軍は東半分を指揮す。該野戦軍は第3軍団(27師、3騎兵師)を指揮す。加えて、第16師団、24師団、19師団。24、19師団(19師は転進中)は予備とす。クレスの第8軍はガザをコントロールし、西半分を守備す。ガザ守備の第7師団はガザ北方に配置転換し、対上陸および予備とす。ガザには老練の第53師団を配置す。

・英側文書にはマイナーツヘイゲンの「ハザーバック伝説」あり。該参謀による偽文書によりオスマン軍騙さるるという。エドワート・エリクソン、土文書を耽溺しこれ真なりとす。第7師団の対上陸防御のための配置転換、歴戦揃いの第53師団のガザ入りこれなり。加うるに予備に位置すべき第24、19師団はベエルシェバに遠き地にあり。両師団はベエルシェバよりもガザを援護すべき地にあり。

・土軍の攻撃予想。英軍はベエルシェバに対し騎兵小部隊をもって陽攻す。英仏連合軍ガザ北方に上陸す。主攻はガザに指向し、夜間攻撃および戦車投入す。オスマン、ドイツ両参謀連ともに、英軍は補給上の理由によりベエルシェバには2コ師団(歩兵1コ、乗馬兵1コ)しか投入できぬと信ぜり。



・10月31日、英軍攻撃初日、土軍はまったく奇襲されたり。第7、8軍両司令官午後になり事態把握す。急ぎ参謀派遣す。ベエルシェバ北方に新たに防御線構築すべきと判断す。

・ベエルシェバを守備したりし第3軍団長イスメットまた驚愕す。隷下にありし第27師団はアラブ人主体なり、素質悪しといわるるも頑強に抵抗せり。イスメットは予備にありし第3騎兵師団を左翼に展開し英軍乗馬部隊を脅威せんとせしも焼け石に水なりし。

・イスメットは午後4時ベエルシェバ放棄を決定す。漸次撤退す。午後4時30分、豪乗馬歩兵による乗馬襲撃決行さるる。午後5時、ベエルシェバはその主を替えたり。


・土軍は戦略的にも、作戦的にも、戦術的にも奇襲されたり。ベエルシェバに敵大部隊侵攻せりと夢にも思わざりき。その報聞きたるや耳を疑い驚愕せり。土軍情報部は木偶の棒にあらざりし。これがまったく驚駭されたるは英軍の情報取り扱い厳にして、その優秀さを示すものとす。



Ottoman Army Effectiveness in World War 1, PP115-119
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