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1917年10月、英エジプト遠征軍戦闘序列
砂漠乗馬軍団(キューヴェル将軍)
 オーストラリア及びニュージーランド乗馬師団
 オーストラリア乗馬師団
 英本国乗馬師団
第20軍団(チェットワードchetwode将軍)
 第10師団(アイルランド)
 第53師団(ウェールズ)
 第60師団(ロンドン)
 第74師団(ヨーマニー[国土防衛])
第21軍団(エドワード・ブルフィン中将)
 第52師団(スコットランド)
 第54師団(東アングリア)
 第75師団(エジプトでの徴募兵からなる。10月まで編成完了していない)
軍直轄
 その他

トルコ軍はパレスチナ方面にY?ld?r?m軍集団を配置しており、これは第4軍、第7軍、第8軍から成っていた。
トルコ第7軍は18,350名を有し、第8軍は6,572名配属されていたが、第4軍はないも同然のようなものであった。

イギリス軍1個師団はおそらく1万3千ぐらいで、オスマントルコ軍は5千内外。

第2次ガザ戦のとき、歩兵は第52師団、第53師団、第54師団、第74師団だったが、7月に追加で第60師団が送られてきた。60師団は2線級の国土防衛(territorialはどう訳すべきか、国民兵?)師団で、ロンドンの都市労働者からなっていた。彼らは3度のお勤めである。すでにフランスで、バルカンで、戦火を交えてきた。陣地戦にどっぷりとつかっていたため、運動戦の訓練がなされた。ついでに暑さへの慣れも。

第179旅団ブラント上等兵の日記より、
「10月1日:朝早くからある攻撃方法の訓練をやらされた。機動戦に関する、ある旅団の方法を学んだだけだ。大隊は暑さいっぱいの日にエルサラシュのベースキャンプまで行軍して戻ってきた。ほとんど死にそうになった・・・“ここの戦争はつまらない”」


厳格な規律、厳しい訓練、塹壕強襲、と何ヶ月間も明け暮れ、EEF(英エジプト遠征軍)は将来の難しい作戦に備えて準備した。

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