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戦史とは何か 2011.02.01 (火)
石田保政『欧州大戦史の研究』緒言より。



(大正15年1月、欧州戦史の講を始むるにあたり 石田歩兵少佐)


戦史の価値につき


戦史は吾人に戦争の本質、戦闘の実態および戦場における諸事情を闡明[せんめい]し、その原因、経過、結果の関係を認識せしむ。

これ戦略戦術上の諸原則を始め、編制、装備、築城、交通等諸般の施設および制度にいたるまでその改革、進歩の根源ことごとく戦史に発する所以なり。惟うに用兵上の諸問題を平日諸般の演習、試験等により実験せんとするも、到底戦場における心理、危険の観念、悲惨の光景、情況の不明不確実錯誤矛盾等はこれを経験し得ざるものあるべく、勝敗の因果関係にいたりては平時机上における人為的推論をもって断じ得ざるものあるべし。

戦史の他兵学に対する地位は、あたかも医学における診断治療が病理解剖等の研究により進歩発達すると相似の関係にありというべし。

元帥フォン・モルトケ曰く「戦争は他の技術のごとく推理的方法をもって学ぶあたわず。ただ経験的道程においてこれを学び得べし」と。まことに至言と称すべし。


戦争の本質、戦闘の実態および戦場における諸事象の認識は、自己の修養に一つの指針を与え困苦、危険に打ち克つ得べき程度につき一つの標準を示す。

今際会せる戦況が我にきわめて不利危険なりとせよ、しかれどもはたしていわゆるさじを投ぐべきほど絶望的のものなりや否や、あるいはまた今なめつつある欠乏困難が忍耐の極度に達せるがごとし、しかれどもはたして打ち克ち得ざる程度のものなりや否や等の判定はけっして戦術上の純理論のみをもって断じ得ず。むしろ戦史により修養し得たる観念が、その決済に関し一つの準縄を示すものといわざるべからず。また人の性格はじつに矯正し難きこと世人の周知のことなり。しかれども戦史により、性格が統帥指揮におよぼす影響を知り、常時これを自己の性格に対照し自省するごとく修養を積まば幾分の効果あること必せり。


戦史は統御または幕僚の服務ぶり等に関し純学問をもって究め得ざる妙機いわゆる「コツ」をますます教示す。

武将に御し難きものあるは洋の東西を問わず時代の新古を論ぜず、史上にますます現わるるところなり。これが統御の妙諦のごとき到底筆舌に尽くし得ざるものとす。また動もすれば常軌を逸脱せんとする将帥に対する幕僚の奉仕ぶりのごとき到底学問として研究し得ざるところなりとす。これじつに、いわゆる「コツ」にしてこれらは戦史を惜き他に会得の機会はなはだ少なきものとす。


予想敵国の戦法敵軍の素質、能力、その慣用手段等の判断は、戦史研究の重要事項にして将来戦必勝の要素を案出せしむ。


戦史研究上の注意

戦史研究上の注意に関しては、そのつどこれを述ぶべし。ただこれには外国戦史の講を始むるにあたり一言諸官の注意を促すところあるべし。外国軍の戦績を吾人の修養訓練の一対象と看破すことなり。もちろん、外国軍の戦績中には採るに足らざるもの多し。しかれども称賛に値するものまた決して少なしとせず。吾人の血管内には祖先より継承せる大和魂流れあり。時ありて発動すとつねに楽観すべからず。大和魂も対象物を求め、たえずこれを凌駕するごとく切磋琢磨せざれば自惚れ倒れとなることあるべし。すなわち外国軍の戦績を吾人の修養訓練の一対象として戦史を研究せられんことを望む。

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