なんという絵心!!


・第1次ガザ戦
アーチバルド・マレイ率いる英エジプト遠征軍は3コD、1コYeomanry.D、2コCav.Dを有す。これらは皆ガリポリ戦を経験した師団だった。
作戦計画は砂漠縦隊(1コ師団、2コ騎兵師団)がガザを攻撃しこれを囲む。東面隊(2コ師団)は東側面を遮掩し防護する(screen and guard)。


オスマン軍第1遠征隊を率いるのは独フォン・クレス大佐。2コ師団および1コ騎兵師団。ガザ守備隊(兵3500、機関銃42丁、砲22門)。
イギリス軍が攻撃してきたときは側面を打撃し、要すればベエルシェバより進撃して敵後方連絡線を遮断する。


1917年3月26日よりイギリス軍攻撃開始。ガザをほとんど囲むが右翼を痛打されて後退。
イギリス軍損害2400。オスマン軍戦死294、負傷1078。


・第2次ガザ戦
イギリス軍はガザへ正面攻撃を計画。戦車8両、毒ガス弾4000発を含む火砲が増援される。

パレスチナ担当のオスマン第4軍司令官ジェマル・パシャは、北方より20Cを南下させ配置につかせた。ジェマルはマレーの攻撃準備を察知し準備。

4月19日、イギリス軍攻撃開始。オスマン軍のよく準備された陣地に正面攻撃をかけたイギリス軍はあえなく撃退された。
イギリス軍損害6444。オスマン軍戦死82、負傷1336、行方不明242。司令官マレイおよび参謀長ドベルは解任された。

・評
イギリス兵捕虜の言、「われわれはトルコ兵がこんなにも強いとは知らなかった」。
インテリジェンスが貧弱でオスマン軍部隊に対して間違った姿を思い描いていた。
すべてのレベルのイギリス軍将校は状況認識が甘く、効果的に情報伝達ができていない。
歩砲協同に欠いている。
これは2年前のガリポリと同じ状況である。


Ottoman Army Effectiveness in world War 1,pp.98-102
Ordered to die, Appendix F. Ottoman Causualties


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