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ミリタリー | 趣味・実用 | ガリポリ 2010.10.13 (水)
主に『1915年 ガリポリに於ける上陸作戦』および『Gallipoli: The Ottoman Campaign』よりガリポリ初期上陸作戦(アンザック湾の戦い)を再現してみる。



・当初の上陸開始は1915年4月23日。天候の悪化により2日延期。

・所定の時刻に配置につかせるためには2日前より行動を起こさなければならない。4月23日正午よりド・ロベック長官予定行動開始を発令。

・ゼロス湾における陽動。
ザンデルスの著書によれば、「26日にいたり、ゼロス湾におけるイギリス軍の行動は単なる陽動に過ぎざるを悟り、同日およびその翌日中においてビュレヤー堡塁線にありし陸兵のほとんど全部を引き揚げて半島の南端に増援したり」と。

「本陽動は土軍の2コ師団を少なくも24時間北方に抑留せるの効果ありしものと判断し得べし」
(『1915年 ガリポリに於ける上陸作戦』p.78)


「4月26日午前1時50分、第5軍司令部はエンヴェルにテレグラムを送った。第5軍はこう報告している、第19師団は夜襲を決行中であること、第15軍団(アジア側)は敵と接触し拒止していること、ゼロス湾では上陸は行われていないので第15軍団および第7師団から第9および第19師団地区へ増援(2コ師団相当)を送ることを意図していること」

「第5軍司令官(ザンデルスのこと)はゼロス湾での連合軍作戦を直接観察し見極めることに一日費やした。そして連合軍の行動に惑わされなかった」
(『Gallipoli: The Ottoman Campaign』p.57)


視点のちがいか?


アンザック湾図



・アンザック軍団の任務。
カバ・テペ岬北方海岸に上陸してオスマン軍兵力をこの方面に牽制し、その後マル・テペに前進して半島の北部および南部を遮断。

・午前3次30分、海岸より2,3マイルに到着し、短艇による航進に移る。午前4時、日が上りだす。オスマン軍の応射を受けるも、かまわず上陸する。

・午前5時30分までに上陸援護隊(オーストラリア第3歩兵旅団、1500名)が上陸完了。午前7時20分までにさらに4000名が上陸。総数8000を数える。隊伍の整頓・掌握ならずして速やかに前進し、部隊が乱れたままにあった。

・午前8時30分までに錯雑する山地を約1マイル前進し、ここに塹壕を構えて主力の上陸を待つ。

・イギリス軍は敵放火に悩まされつつ、錯綜する地形で戦う。漸次第2旅団はシュラブル峡谷を越えて第3旅団の右翼に、第1旅団は第3旅団の左翼に進出した。戦線右翼はカバ・テペ北方約1マイルに、左翼はフィッシャーメン・ハッツの高地にあり。

・オスマン軍の行動。
オスマン軍はアンザックの上陸地点で上陸が敢行されることを予期しており、築城を施していた。しかしイギリス軍が誤って予定地点より北方に上陸したことで、はからずもオスマン軍があまり注目されていなかったところに上陸できた。

「4月23日午後)我が航空機の爆撃にあい、マイドスよりキリヤ平原の一地点(アンザック湾の東方5マイル)に移動せし土軍第27歩兵連隊の2コ大隊は、最初の警報とともにただちにアンザックへ向かい前進し逆襲すべき命を受けて急行し、このときすでに中央の山脈に達し、攻撃の目的をもってその丘腹を下りつつありき」
(『1915年 ガリポリに於ける上陸作戦』p.89)

「土軍は当初カバ・テペ地区に歩兵第27連隊の第2大隊に数門の諸典砲(誤字?)のほか、砲兵3コ中隊(野砲、山砲、短6インチ砲各1コ中隊)を付属し守備に充てたり。オーストラリア軍上陸当初抵抗せしはこの部隊にして、同連隊の主力2コ大隊はただちに増援され、引き続き主予備隊たる第19師団の残余はオーストラリア・ニュージーランド軍に対して展開せられ、午前11時より午後3時にかかりその兵力2万を算し、つねに優勢を持してとくに右翼第2、第3旅団に対し攻撃せり。しかれどもこの逆襲は軍艦の砲火をもって撃退せられ、さらに午後5時ないし6時30分にわたる間に第3旅団に対し第3回目の決死的逆襲を行い、豪第2旅団の第8大隊のごときは土軍の銃剣突撃を撃退してその戦線を維持せり。各部隊は24日以来その休息なくいまや疲労の極みに達し、加うるに錯雑地における苦闘は随所悲惨を極め、最後に戦闘加入したる将さえ甚だしく死傷し、その損害2000名以上に達せり。土軍また悪戦苦闘し、オーストラリア軍機関銃のため数回その密集部隊を射撃せられ、付近一帯死屍累々たり」
(『1915年 ガリポリに於ける上陸作戦』p.92)



オスマン軍の行動


半島担当は第5軍隷下の第3軍団(エサト・パシャ)で、第9師団(ハリル・サミ)、第19師団(ムスタファ・ケマル)、第7師団がいた。第19師団は第5軍予備。

土第27歩兵連隊長はメフメト・セフィク中佐。同連隊は第9師団予備として師団より数キロはなれた場所に位置していた。

オスマン軍の第27歩兵連隊第2大隊は、のちにアンザック湾と呼ばれるようになるあたりを守備していた。大隊のうち3コ中隊は沿岸に貼り付け、1コ中隊が即応予備として配置についていた。大隊の指揮官はハリス少佐。彼はリビア戦争とバルカン戦争の戦闘経験者で、負傷して片目を怪我してしまったために「隻眼のハリス」として知られていた。

4月25日午前2時30分、第27歩兵連隊第2大隊の第8中隊は、イギリス軍が上陸準備中であると通報。

午前4時20分より接近中の短艇に対し小銃火を加え始める。5分後、砲火も加わりイギリス軍を苦しめる。

オーストラリア兵が約5時に上陸し始め、その情報はすぐに第3軍団に通報された。第9師団予備の第27連隊長セフィク中佐はすぐに敵軍撃滅を決意し、歩兵および砲兵に出動を命じた。第27連隊は夜間訓練でくたくただったが、セフィク中佐に遅疑逡巡なし。

第9師団長ハリル・サミ大佐は、セフィク中佐の報告をもとに、5時55分第27連隊に出動命令を下す。作戦命令書のコピーは第3軍団および第19師団に送られた。

午前8時までに第27連隊の2コ大隊(第2大隊は前述の通り沿岸守備)はカバ・テペに向かって前進しているところであった。

少し時間を戻して、午前5時30分、ムスタファ・ケマル中佐は第19師団に出動準備を命令。さらに彼の騎兵部隊に偵察を命じた。午前7時までに第3軍団の命令は来ておらず、痺れをきらしたケマルは第57連隊を率いて前進を開始。第3軍団にその旨通報した。

ケマルの状況報告のコピーを見た第9師団長ハリル・サミは、第27連隊に第57連隊と協同して戦うよう命令。

午前9時ごろ、セフィクの斥兵はカバ・テペ付近に進出。敗走してきた第2大隊の兵と邂逅した。10時30分、ついに豪第3旅団と接触した。しかし協同するよう命令されていたため、ケマルの部隊を待った。

9時40分、ケマルはConkbayiriに進出、この地を守備する第27連隊第2大隊の一小隊と接触した。
※ケマルの戦闘報告では、敗走してきた兵となっている。アランムーアヘッド『ガリポリ』に出てくるシーンだろう。

11時、第9師団の騎兵将校がもたらしたセフィクの攻撃計画をもとにケマルは計画を策定。そのコピーは第3軍団に送られた。ケマルのプランの骨子は「まず第27連隊が敵右翼に陽攻し、第57連隊が砲兵と協同して敵左翼を攻撃する」というものである。

正午、セフィク中佐は連隊に攻撃命令を出し、こう訓示した、

「獅子のように戦え、侵略者どもを海に追い落とすんだ!」

12時30分および1時、セフィクの散兵が小銃に銃剣をつきたて波のようになって前進した。ケマルの兵も同じように前進した。

この間、ケマルは第77連隊にセフィクの連隊の左側に位置するよう命令。同じく第72連隊には57連隊の右側に位置するよう命令した。

第27連隊と第57連隊(1コ大隊は予備として待機)の攻撃はオーストラリア軍を釘付けにした。オーストラリア軍の8コ大隊に対し4コ大隊(4000名ぐらいだろう)の攻撃でもって豪兵の攻撃意思を挫いたのである。


ここまでが午後3時までの戦況なり。

エリクソン博士は砲兵との協同の様子をしつこく書いているが省略した。これは要するにオスマン軍は歩砲協同を重視していたが、イギリス軍は協同に欠いていたということを書きたいのだろう。

オスマン軍には伊土戦争やバルカン戦争の戦闘経験者が多数いた。大戦後期と比べて食料供給もよかった。訓練もバッチリ。田尻中佐(当時)もこの辺を言及している。

「4月25日におけるアンザックの上陸において、オーストラリア軍はもっとも勇敢に戦闘せり。しかれども各隊は甚だしく統制を欠き、指揮官は部下を掌握するあたわず、諸隊は甚だしく混淆し、随所小部隊は孤立して丘、藪などのなかに猪突し、各兵は暴虎馮河の勇を奮って各個の行動に出で、焦燥なる戦闘をなせる結果多大の損害を生じ、遺憾なく訓練不十分なる軍隊の弱点を暴露せり。
ガリポリ半島攻撃開始前、すでに8ヵ月半にわたり、土軍は着々防御準備を進め、これに従事せるものはダーダネルス戦争に当初より従事し、赫々たる功績を立てたる部隊なり。これに反し、アンザック軍はガリポリ半島の攻撃を命ぜらるる以前、わずかに4ヶ月の訓練を経しのみ。しかも上陸直前1ヶ月は全然輸送船上に過ごせり。かかる情態において困難なる上陸戦闘に完璧を望むは過望の嫌いありといえども、とにかく錯雑なる地形において善戦よく勉め、立脚地を占領せる勇気は、けだし嘆賞するに余りありというべし」
(『1915年 ガリポリに於ける上陸作戦』pp.102-3)

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