ミリタリー | 趣味・実用 | 楠公戦史 2010.09.30 (木)
「由来、敵の数は実際よりは過大に伝聞し、かつ記載されるのがつねであり、日清日露の戦の場合でも、また今次、日支事変に際してすらしかりである。また戦勝の報告記事中には、敵数を誇大に表して、軍功をいやが上に輝かんとするのが人情である」
林部與吉少佐「一の谷の合戦」『日本戦史の研究』p.171


「鵯越逆落としの現地決定については、今なおいろいろの人が、それぞれの立場から眥を決しひじを張りつつ論議しているのはおもしろいことである。あるいは文献上の研究から現在の須磨、一の谷付近であるといい、あるいは実際上の研究から長田の奥付近であるといい、いまだ確とわからない、また真実わからないのが本当であろう。それを知れるもの、三千世界にただ九郎判官義経とその直属麾下の勇士あるのみ。それとても今彼らを地下から呼び来って道案内させたら。年月久しゅうしてスッカリ忘れ果てたと訴えるかもしれない。初めて踏んだ土地のこと、しかも目まぐるしく変化する戦場の駆け引きに、一々そう執念深く通過地点を記憶に存しておろうはずがない。

これは日露戦役に従事した老将士たちが、命をかけた晴れの舞台を後来訪れてみて、ハッキリ想い出されぬのが多いと一般である。

そこでもし是非ともその真点(ベリースポット)を捜しあてて、ここぞ九郎判官逆落としの場所を昭和の何某が発見したと名乗りをあげたい特志家あらば、なにとぞ雪のちらつく旧暦2月の初めつかた、騎馬武者7~80騎を引具して、全夜来鵯越を北方から入り込んで、駆け回りつつ早暁にいたり、しかるべき地点を縫うて兵庫へ侵入することだ。かくてその地点の相当な坂路に、自費で石碑でも建立するがよい」
林部與吉少佐「一の谷の合戦」『日本戦史の研究』pp.203-4


兵力数の問題と戦場地の問題。
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