ミリタリー | 趣味・実用 | 楠公戦史 2010.09.21 (火)
アパートの近くであった神楽見てきた。

近所のおっさんがちょろちょろとやるんかと思ったら、ちゃんとした楽団?だった。演目は4つあったが、「悪狐伝」と「八岐の大蛇」しか覚えていない。

大体のパターンとしては、まず悪役(魑魅魍魎や妖術を会得した者)が現れ、ついで主の命を受けてそれを討ち取らんとする武者が出てくる。そして武者と悪鬼と四つに組んで暴れまわり、最後に悪役は討ち取られるというもの。

なんというか形式美のオンパレードで、何度もクルクル回るのは疲れるだろうなぁと思った。悪役が一度はズブリと刺されて弱まるが、「なんのこれしき」とまた暴れだすシーンはかなり面白かった(4つ中、3つはあったとオモ)。いやー、マジで爆笑したよw

神楽で出てくるの武者の得物が4つ中、前半2つが弓で、後半2つが刀だったのは興味深い。

カール・F・フライデー「騎射の歩みの一考察」より、
「初期の武士を特徴付けた技術は、『騎射』であった。徳川時代の武士は刀を『侍の魂』として尊重したが、九世紀から一四世紀の専門武者は自らを『弓馬の道』の者、あるいは『弓箭(きゅうせん)の道』の実践者と称した」とある。

おそらく4演目すべて平安時代が背景だったと思う。「騎射の歩みの一考察」によれば、平安期は騎射戦闘時代であるらしい。威力の低い弓と対弓用鎧のせいで、武者たちは10メートル以内に接近して互いに騎射しあう。「結果として、馬上の武士同士の戦闘は、第一次世界大戦時代の戦闘機の空中戦と戦術が似ることになる」。

ただその合間を縫って歩兵による矢の一斉射撃なども行われたようで、戦闘行動の大規模な統制はされず小集団によるチームワーク戦のようなものだったらしい。


これが南北朝戦乱時になると、各種技術の発達によってほどよい距離から騎射(あるいは下馬して射る)したあと乗馬襲撃がさかんに行われるようになった。鍛錬の必要な弓をあきらめ、もっぱら太刀をもって暴れる者も出てきたぐらいである。トーマス・コンラン「南北朝期合戦の一考察」によると、1333-38年の間の負傷者数の割合は矢が64%で、太刀が33%である。

ただ南北朝期には兵科ごとに別れるというのはなかったし、目的が敵主力の撃滅であって土地の占領ではなく、よって「地を耕す」歩兵は脇役扱いだった。


これに一大変化が起こるのが戦国時代である。

目的として土地の占領がはいったことで歩兵の重要性が増し、騎馬弓兵は衰退した。土地によって戦うなら地に根を張る歩兵のほうが有利であり、騎馬弓兵は単なる的と化す。したがって、弓・鉄砲兵により敵部隊を動揺させ、歩兵によって陣を崩し、騎馬兵の突撃によって仕上げるという戦術変わっていったのである。



あれ…なんの話してたんだっけ……汗

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