未分類 2010.06.22 (火)
イラワジ会戦書いてて思ったけど、戦史叢書も陸戦史集も史料批判があまいところがあるね。なんか濁してる感がある。



アメリカ式の戦争階層の理解だと、やはり南北戦争なんかが好戦例に思えてくる。

日本古戦史は決戦的な感が。いやでも西洋でも同じかな。西洋中世と近世は全然知らないが、古代ローマのポエニ戦争なんかはキャンペーンとしてみることが出来たりする。

一番人気のある戦国戦史が一番決戦的…それでそう思えるのか?!

源平合戦も南北朝戦史も連続的に戦闘が続く。壬申の乱も?

西南戦争…は調べたことがない。

日清日露は格好の読み物が…

日中戦争も…

ビルマ戦は陸戦史集があるだけマシ。

島嶼戦は上陸戦…


レイテのリモン坂の遭遇戦…絶望感あふれるネ!



日露戦争の学研のムック本は図と文が連動してない。というか図中にどの部隊がどう行動しているのか書き込んでほしい。

『日露陸戦新史』は図が全然なくて途中で読む気が失せた。本棚に眠っている。文自体は簡潔で要を得ている。

日露戦争の公刊戦史は高すぎて手が出せない。近代デジタルライブラリーにあるけど、あれだけのものをネットでは読破できない。見にくいし。



http://www.bfpj.net/teaching/teaching_26_0102_04.html
◆事実23
第1次大戦後、トルコは戦争に敗れ、1917~48年まで続く、英国によるパレスチナの委任統治に入ります。

これは十字軍以来、初のキリスト教国によるエルサレム統治となりました。英国軍には三つの強力なユダヤ人軍団も参加して戦っていたにもかかわらず、中東のイスラム教徒たちは英国=キリスト教国、つまり英国軍はキリスト教の軍隊と考えていました。英国軍を率いていたのはエドマンド・アレンビー将軍です。軍事行動の一部として、彼はエルサレムの住人に飛行機でビラを撒きました。これらのビラにはアラビア語で降伏を呼びかけることばと、アレンビー将軍のサインが書かれていました。アラビア語で書いた彼の名前は「アラー・ネビ」(=アラーの預言者)と読むことができ、この命令への抵抗を考える者の心を恐怖で満たしました。

アレンビーは熱心なクリスチャンで、彼の枕頭には常に聖書が置かれていたといわれています。この都への尊敬の念から、1917年にエルサレムに到着すると、彼はヤッファ門前で下馬して徒歩で入場し、「我々は戻ってきました」と言ったそうです。それから1948年の独立まで、エルサレムは英国統治下となります。


イスラエル的にはあのネタは事実w

「我々は帰ってきたあ!!」と叫ぶアレンビィw
確かに英公刊戦史にはエルサレム占領時に声明を発してるが、そんなこと書いてあったかなぁ。イスラエルでは人気なんだねアレンビソ。



戦いなくして得た勝利

さすがアレンビー、神の預言者!
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