ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.11.16 (日)
第2次ガザ戦の敗北のあと、イギリス東部軍はあらたな攻撃計画を練っていた。中心となったのがサー・フィリップ・チェットウッド将軍で、これをガイ・ドーネイ准将がサポートしていた。2度のガザ攻撃でみたように、ガザはイギリス側の鉄道線からちかく、また海軍による支援砲撃ができるという利点があった。しかしチェットウッドの参謀は、ガザの防備は強力なものになってしまっていて直接攻撃により奪取するに容易ではないと信じるようになっていた。第2次ガザ戦で戦力増加したイギリス軍が攻撃をかけたにもかかわらず、オスマン軍陣地はびくともしなかった。もういちどガザへ直接攻撃をかけるのはリスクが高いだろうと。

ゆえに、オスマン軍陣地をさけて攻撃をかけようする案があらたに立てられた。ひかくてき防備のうすいオスマン軍左翼を攻撃し、ここをあしがかりにガザを攻めるのである。つまり、主力をもってベエルシェバを攻撃、一部をもってガザに牽制攻撃をかけ、早急にベエルシェバを獲ったあとガザの後方連絡線を絶つように包囲するのである。1914年ベエルシェバはほんとうにちいさな村だったが、鉄道線が敷かれたあとおどろくほど発展していた。ここで給水やほかの供給品もまかなうことができる。

当時の軍隊が輸送を頼んでいたのは、船と鉄道が主で自動車はすくない。ベエルシェバへの攻撃は鉄道のない砂漠をとおるわけであるからここを早期にとることができなければ軍隊はおのずから衰退してしまうのである。攻撃の成否は秘匿と欺瞞、つまり"さいごの瞬間までガザにおいて攻勢が再興される"と敵が信じていることにかかっていた。チェットウッドはこの攻勢に7コ歩兵師団と3コ騎兵師団がいると試算していた。

アレンビー将軍の到着ののち、チェットウッド案は正式に採用された。組織も改変され、チェットウッドは第20軍団長となった。第3次ガザ戦時の遠征軍編組は以下のとおり。

英エジプト遠征軍

├軍司令部(サー・エドモンド・アレンビー大将)

├王立飛行団

├第20軍団(サー・フィリップ・チェットウッド中将)
│├第53師団
│├第60師団
│├第74師団
│└第10師団

├第21軍団(E.S.ブルフィン中将)
│├第52師団
│├第54師団
│├第75師団
│└軍団直轄

└砂漠乗馬軍団(サー・ハリー・ショーヴェル中将)
  ├オーストラリア・ニュージーランド乗馬師団(E.チャーター少将)
  ├オーストラリア乗馬師団(H.W.ホグソン少将)
  └義勇乗馬師団(G. de S.バロウ少将)

1917年10月28日時点で、遠征軍は実数歩兵60,000、騎兵12,000をかぞえた。対するオスマン軍の戦力について、アレンビーは41,000と推測していた。元遠征軍参謀のアーチバルト・ウェーヴェルは歩兵40,000-45,000、騎兵1,500、大砲300と記し、イギリス公刊戦史は歩兵33,000としている。ところが、オスマン帝国側のフォン・クレスはオスマン軍の3コ軍団(第22、第20、第3軍団)で、歩兵戦力23,000足らず、多くの師団は1,500を下回っていたと書いている。そして多くの連隊は歩兵500以下、3,000-5,000名が病人となっており、全部隊の25%が病院にいたという。電撃軍集団の参謀長補佐だったフセイン・フスミ・アミール大尉はパレスチナの師団の歩兵は平均で3,000と推測している。"全線で21,000"と言われていたという。英公刊戦史の数字にして2倍、クレスやアミールの数字にして3倍の歩兵戦力差があった。1コ連隊欠の土第3カフカース騎兵師団は軍刀約1,100にすぎず、イギリス軍とくらべようもない。

電撃軍集団(ガザ・ベエルシェバ線のもののみ)

├軍集団司令部(フォン・ファルケンハイン大将)

├第8軍(フォン・クレス)
│├第20軍団
││├第26師団
││└第54師団
│└第22軍団
│  ├第3師団
│  ├第7師団
│  └第53師団

└第7軍(フェヴジ・パシャ)
  └第3軍団
   ├第27師団
   ├第3カフカース騎兵師団
   ├第16師団
   ├第24師団
   └第19師団(転進中)

1917年10月28日、オスマン電撃軍集団はファルケンハインの命令で配置換えをおこなった。フェヴジの第7軍はパレスチナ・ガザ線の東半分を指揮し、該野戦軍は第3軍団(27師、3騎兵師)を指揮する。くわえて、第16師団、24師団、19師団である。ただし、第19師団は転進中である。クレスの第8軍はガザをコントロールし、西半分を守備する。ガザ守備の第7師団はガザ北方に配置転換し、対上陸および予備とする。ガザには老練の第53師団を配置する。

英語圏で有名な逸話にマイナーツヘイゲンの「ハザーバック伝説」というのがある。英エジプト遠征軍の情報課長リチャード・マイナーツヘイゲン中佐がわざとニセの機密文書をオスマン側へわたるようにし、それによってオスマン側は「イギリス軍はガザへ主攻をかけるのだ」とだまされたという。米エドワード・エリクソン退役中佐はOttoman army effectiveness in World War 1でこれをトルコ側記録から検討し、やはりオスマン軍はだまされていたのだと述べている。第7師団が対上陸防御のために配置転換したこと、歴戦の第53師団がガザに配置されたことがそうで、くわえるに予備に位置すべき第24、19師団はベエルシェバよりもガザを援護すべき地にあったという。

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さて、運命の第3次ガザ戦はどのような展開となるのか。それはまたつぎの記事で。



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