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ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.04.25 (金)
ガリポリ半島南側を守備するオスマン第9師団は、担当地区を二つに分けた。ひとつはカバテペ・アルブルヌ地区、もうひとつはセッデュルバヒル地区である。前者は第27連隊が担当し、第2大隊が海岸貼り付けとなり、連隊はエジェアバトに機動戦力として控えていた。第9師団も司令部をエジェアバトに置いた。

後者のセッデュルバヒル地区には当初第25連隊が担当し、4月22日までの一か月間、該連隊は準備と訓練を繰り返していた。ところが第9師団長は英仏連合軍の上陸の危機が増すなかで第26連隊に交代させた。第25連隊は打撃予備として後方に控置された。

第26連隊のなかでもセッデュルバヒル正面を担当したのは第3大隊である。該大隊はセッデュルバヒル地区守備として敢闘しトルコ戦争史において一角を占める地位をえることになる。よく準備された陣地に拠ってはいたが、6kmにもおよぶ海岸を守備することはたった1コ大隊がやるにはおもい任務だった。

第26連隊の第1大隊はクムテペ、第2大隊の第6中隊を西側海岸(セデュルバヒルとクムテペの接続点)が守備。連隊は第2大隊の3コ中隊を予備として控置していた。連隊長カドリKadri大尉は連隊予備とともにキルテ村に位置した。



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イギリス軍はガリポリ半島南端に第29師団を投入するつもりでいた。師団はイギリス本国にのこされた最後の正規軍で、貴重な第一級師団だった。

事前の計画では、海軍援護部隊が23日5時よりヘレス一帯を砲撃し(実際には天候の影響で25日)、英第29師団および海軍師団の1コ旅団はその援護により、まず上陸援護に任ずる7コ歩兵大隊をヘレス岬付近に上陸し、海岸に拠点を占領して主力の上陸を援護させる。主力が上陸すればオスマン軍を攻撃してキルテおよびアチババを占領することになっていた。

第29師団の上陸点は以下のとおり。

主上陸はV、W、Xの3点。

Vビーチには第1ロイヤル・ダブリン歩兵大隊、第1ロイヤル・ミンスター歩兵大隊、第2ハンプシャー連隊の2コ中隊、1コ工兵中隊、1コ海兵小隊。

Wビーチには第1ランカシャー歩兵大隊、第4ウォセスター、工兵の一部、1コ海兵小隊。

Xビーチには第1ロイヤル歩兵大隊、第1ロイヤル・インニスキリング歩兵大隊、第1国境連隊半大隊、1コ機関銃隊、1コ海兵小隊。

これらは23日5時からの艦隊砲撃を待って、5時30分より一斉に上陸を実施。ただちにキルテにむかい前進し、ついでアチババ高地を攻撃する。

副上陸はS、Yの2点。

Sビーチには第2サウス・ウェールズ国境大隊(1コ中隊欠)、工兵の一部。

Yビーチには、スコットランド国境大隊、サウス・ウェールズ国境大隊の1コ中隊、1コプリマス海兵大隊。

主上陸部隊にさきだって上陸を開始し、主上陸部隊の側面を援護し、かつオスマン軍を牽制する。

第29師団の主力はマドロス湾に待機し、VWXのうち成功したところに上陸できるよう準備する。

ことにセデュルバヒル堡塁のあるVビーチへの上陸は困難をきわめると予想されていた。



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25日5時30分、イギリス海軍が砲撃を開始した。土第26連隊第3大隊長メフムト・サブリSabri大尉はどこに真の上陸が来るのか思案をめぐらしたが、配下の中隊長の報告を待つことにした。連隊へ海軍砲撃の報告をあげ、最後にこう締めくくった――"大隊は万全の態勢にあり。最後まで任務を完徹せん"

同じころ、第12中隊の諸小隊はWビーチへ40以上のボートがむかってきているのを観測していた。"彼らは来た"のである。6時ごろ400mの距離から機関銃が先行するボートを射撃しはじめ、イギリス兵が上陸してきて40mの圏内入るや小銃による急射撃をおこなって大損害をあたえた。7時5分、前進小隊は(陽動や牽制ではなく)真の上陸であると報告をあげている。

6時、セデュルバヒル(Vビーチ)。第10中隊の面々は困惑の表情を浮かべながら海上を眺めていた。こちらのほうへ蒸気船と多数のボートがむかってきているのが見える。

ボートが400m内に近づいてきてから機関銃と軽砲がうなりをあげた。爆風のごとき銃砲火は海岸一帯、そして海岸に到達するボートを掃射し、数分ならずしてボートのなかの人身はほとんどが死傷した。あるボートは波のままに漂流し、またあるものはボートが海岸に対して平行の位置になり、数人がその陰で敵火を避けているような状況であった。イギリス軍のVビーチにおける上陸は完全に阻止され、鉄条網をもぐって砂丘前岸の庇護下にたどりつくことのできたのはわずかに数名しかいなかった。

第10中隊からの報告は9時7分にサブリ大尉のもとへとどいた。中隊は蒸気船リバークライドのことを失敗した作戦であると指摘している。しかし大尉は「この船の存在はセッデュルバヒルが敵の主努力地点である」と判断し、予備の第11中隊を投入した。

Vビーチにイギリス軍は2コ歩兵大隊以上を投入したが70%以上が倒れ、わずかに200名が砂丘に潜んでいる状況であった。

Xビーチ。6時、海軍による砲撃支援を受けながらイギリス軍は上陸を開始した。この方面には監視所しかなく防備上の穴となっていた。イギリス軍部隊はほかの上陸点より容易に上陸できた。

Yビーチ、副上陸地点。4時30分より上陸開始し、6時45分には上陸地点をなんとか確保できた。この方面のイギリス軍はセデュルバヒル地区防備のうしろに上陸しており、もしキルテへすみやかに前進していたらもっと事態は好転していたかもしれない。しかしかれらは前進命令を受けずまた南の戦況もしらなかったために時間を無為に過ごしてしまった。

Sビーチ、副上陸地点。4時30分より海軍の砲撃が始まり、つづいてボートによる上陸にうつった。オスマン軍の防備も兵も少なくなんとか上陸できた。



オスマン第26連隊第3大隊長サブリはWビーチに最後の予備である第9中隊を投入し、これで大隊はすべての戦力をつかってしまった。6時50分ごろに連隊に援軍要請して第7中隊が南下しつつあったが、該中隊は敵射を受けるや大隊の命令を待たずしてXビーチへ突進していった。

9時30分、第26連隊が第9師団に援軍要請したが師団長ハリル・サミの反応はにぶかった。14時15分、やっと第25連隊第3大隊に反撃を命じた。大隊はキルテをとおり、敵の艦砲射撃にさらされながらYビーチを見わたせるサリテペへ前進した。

第9師団砲兵とダーダネルスの要塞砲兵が歩兵を必死に支援していたにもかかわらず状況は良くなかった。15時、サブリは、すべての戦力を投入し、Ay Tepeの状況は思わしくないと報告している。

ハリル・サミはあきらかに最後の2コ大隊を投入することをためらっていた。しかしここにおいて2コ大隊の投入を決心し、第3軍団にその旨報告した。

第9師団の3コ歩兵連隊のうち1コ連隊(27iR)はアルブルヌに進撃し、師団はヘレス岬の敵に2コ連隊で対応しなければならなかった。くわえるにイギリス軍の多点上陸によって、ハリル・サミはまたどこかに上陸がくるのではないかと恐れていたのである。イギリス軍の敵を惑わせんとする意図は、戦術次元では図に当たっていた。

Xビーチに突入した第7中隊は銃剣突撃を敢行して中隊長を含む多数の兵が戦死した。実行の段にいたりハリル・サミはまたもや躊躇して第25連隊に攻撃命令を出せなかった。17時40分、Ay Tepeが陥落した。18時30分、ついに「第25連隊と機関銃隊はWビーチとセデュルバヒルにむかって前進すべし。該部隊はすみやかに前進し夜間敵上陸地域に近接すべし」と第9師団長は命令をくだした。

26日3時30分、師団からの増援を待ってからサブリは夜間攻撃を仕掛けた。いくつか塹壕を奪い返したが英軍の小銃火に阻まれて失敗した。上陸から24時間、サブリの第3大隊は半数の500名以上が戦死していた。しかし戦線崩壊せずいまだふんばっていた。



第26連隊第3大隊長メフムト・サブリ大尉はもっとも対応の難しい最初の24時間において状況を踏み誤らなかった。サブリのたった1コ大隊がイギリス軍の1コ師団を拒止せしめたことを考えるに、かれの達成したことはとくに強い印象を与える。

26日、第3大隊は1,128名のうち将校6、兵630の損害が出たと報告している。大隊長は敵に2,600-3,000の損害を与えたと推定している。第9師団長は第25連隊と第26連隊のうち将校10、兵1,887の損害が出ていると報告している。

トラバースは「ザンデルスとオスマン軍の上陸に対する反応は少し遅かった」と非難している。しかし27日の朝にはブルサ・ジャンダルマ大隊が到着、午後には第7師団の第20連隊が到着していた。



セデュルバヒル地区(ヘレス岬)への上陸は、チャナッカレ海峡に対するすべての上陸作戦の重心だった。4月25日の第一目標はアチババで計画はそれに合うよう計画されていた。しかし一日のうちにアチババの陣地を突破せんと夢みたイギリス軍は、予期せぬ抵抗のために海岸で止まらざるを得なくなった。

5つの異なる上陸点はたった第26連隊の2コ大隊で防御されていた、1コ師団に対してである。そして第25連隊の1コ大隊はYビーチに上陸した英軍旅団を打ち負かすに十分だった。

ゆえにハミルトン将軍の計画は予期して失敗した結末ではなかった。

いいかえれば、セデュルバヒル・キルテ・アチババ軸を基本とした計画の主要部分は現実からほど遠く、結果としてアチババ占領は夢のままであり続けた。これらの目標はチャナッカレ戦役の間けっして達成されることはなかった。
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