ミリタリー | 趣味・実用 | 中東戦線 2014.02.27 (木)
メモ



1914年11月配置
1914年集中計画によるオスマン軍配置

戦役計画に対応する集中では、13コ軍団のうち6コ軍団がトラキアに配置された。バルカン戦争でエディルネが占領された苦い経験もあるし、なによりここがオスマン帝国の戦略的重心だった。攻勢をおこなうカフカースには3コ軍団(9コ師団)、シナイには1コ軍団しか配置されなかった。カフカースには、さらにメソポタミアより1コ軍団が差し向けられたが、徒歩行軍だったため初期作戦に間に合わなかった。

メソポタミアの第8軍団が引き抜かれたために、この地区にイギリス軍が進攻してくるという害禍に見舞われた。

カフカースの3コ軍団はバルカン戦争から再建途中である。バルカン戦争で唯一建制を維持したまま生きのこった軍団である第3軍団と対比される。カフカース攻勢は失敗したが、ガリポリ半島に配置された第3軍団は大勝した。

動員計画では、各軍団は20-30日前後で動員完結となっていたが、実際に必要とされた日数はそれよりも多かった。


末期オスマン軍の軍事ドクトリンは、ドイツのコピーである。将校は積極的でよく訓練されており、兵卒はタフで我慢強く、ヨーロッパでも粘り強さで有名だった。しかし、長期任官の下士官がおらず、欠陥となっていた。オスマン帝国には、そのような伝統はなかった。平時では、効果的で速成な新兵訓練が難しかった。戦時には、青年将校が戦死するや、肩代わりすべきリーダーがいなかった。第1次大戦の惨烈なる損害のなかで、オスマン軍の悩みの種となっていた。