勤め人になって三年目。だんだんと労働環境が悪くなっています。予想外の転勤したし。

参謀本部編『日本戦史』全巻セットを入手したので、最初に小牧役をば。



小牧戦役中、秀吉の別働隊編成とその意図について。

「東西両軍小牧付近に対塁するも互いに乗ずべきの機会を得ず。秀吉やや計画に惑う。会う人あり、これに告ぐるに岡崎城を奪うの策を以てす。秀吉熟思していまだ決せず。池田勝入これを聞き以為えらく、兵を三河に出し空虚を襲い各所に放火して脅威せば徳川必ず小牧に保守する能わざらんと
参謀本部編『日本戦史 小牧役』

「我案るに三河の諸軍過半は小牧山に集まりしならん。されば三河本国は空虚なるべし。いざや、この虚をうかがい軍兵を潜めて三州に乱入して国中諸郷を焼き討ちにせば、小牧山に屯したる諸卒共は仰天してたちまちに敗北せんこと、掌を指くごとし」
改正三河後風土記』第22

「(秀吉は)6日出発西部三河に挺身して敵の策源地を脅威すべきを命じ、かつこれがため篠木、柏井付近に根拠地を設け、爾後敵の小部隊に拘束されることなく直に岡崎に挺身し、これに放火せば直に退却すべき旨注意を与え……」
参謀本部編『日本古戦史講話集』(1930年)


「発案者は池田勝入だ。池田は4月4日夜、秀吉に謁し、この意見の適当な所以を述べ、自らその任に当たらしむることを請い且つ、翌5日朝さらに謁して懇請した」
三原敏男『名将の謀略』P82


どうも別働隊編成の発案は後の世に正確伝わっていないみたい。
日本戦史によると、ある人が「岡崎城を攻撃してみては?」と提案するが秀吉は頷かない。その話を聞いた池田勝入は「別働隊を三河に出し空虚を襲い各所に放火して脅威すれば、徳川本隊は小牧を出ざるを得なくなるでしょう」と熱心に説得し、採用されている。

池田は岡崎城を攻撃しろとは言っていないことに注目。別働隊の出発地が徳川本隊と近いのに、どうみても遠すぎる。

秀吉の別働隊編成の意図を推定。
1.三河方面に進出して後方を脅威し、徳川軍が対応に出撃してきたところで秀吉本隊ともに陣外決戦を強要する。
2.後方かく乱。日露戦争中の永沼挺身隊に同じ。
3.三河を占領すべく真面目な攻撃を加える。

案1は文章を素直に読んでいけばそう解釈できる。岩崎城を攻撃するなという命令と矛盾し、これを無視すると別働隊もまた後方を脅威されることになる。また、秀吉の対応の遅れが気になる。

案2は挺身隊にしては人数が多すぎる。別働隊の人数はだいたい15,000-20,000とどの本にも書かれてある。こんな大人数では、秘匿が難しいし行動が鈍重になる。

案3は別働隊の出発地が徳川本隊と近いのが気になる。別働隊の任務達成のため、秀吉軍は支援しなければならないが、秀吉本隊が小牧に陽攻したのは6日朝と10日の2回のみ。万難を排して…という感じでもないし、10日だとすでに徳川本隊が出撃している。

私としては案1に同意する。迂回によって陣外決戦を強要しようとしたと見る。岩崎城は実際に攻撃している。秀次の四番隊が崩れるのが早すぎたことは致命的だったと思われる。

秀吉が丹羽にあてた手紙で、三河攻撃云々とあるらしいが未見なので保留。




迂回について少し。

「迂回とは、敵の準備せる地域においてこれを攻撃することなく、その背後もしくは側面に迫る行動をいう」
陸軍士官学校『兵語ノ解』

「迂回はこれによって敵が(1)やむを得ず退却せねばならぬ、(2)陣地を捨ててその好まぬ地点で戦闘せねばならぬ、(3)その本来の意思に反して決戦を交えねばならなくなるという利益があり……」
塚本秀雄『兵語の解説』