スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ミリタリー | 趣味・実用 | 雑談 2011.09.25 (日)
床屋談義です。



「名将に学ぶ~」や「名将の~」と本の題名にあったりするが、そもそも名将とはなんなのか。


孫子はこう述べている。

「昔から戦いの奥義を極めた者は、容易に勝てる敵に対して勝ったのである。それゆえに、奥義を極めた者が勝利を収めても、智者という名声も挙がらず、勇者という名誉を受けることもなかったのである。なぜなら、彼のもたらす勝利は、大向こうをうならせるようなものではなく、無理のない至極当然の勝ち方であったからである。無理のない至極当然の勝ち方とは、戦う前にすでに勝利を収めていること、即ち、既に敗すべき態勢になっていた敵を打ち破ったことを意味しているのである。それ故に、練達の将帥は、不敗の態勢を占めて、敵の牛耳を取る機会を逸することがない」(P52-3)

そしてこう結論付ける、「そのゆえに、勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝を求める(勝利を収める軍隊というものは、戦いを挑む前に勝利を収めているものであり、敗北の運命にある軍隊は、勝利の目算もなく戦うものである)」

こういう将軍像で今頭に浮かぶのは、ウェリントンの系譜に連なるイギリス将軍である。第1次大戦、中東戦線においてエドモンド・アレンビー将軍はつねに敵を圧倒する戦力を保持しようとし、実際に戦いにいたる前に敵を敗勢にいたらせる策略をめぐらして、ついに敵を殲滅した。

第1次大戦で述べるならバーナード・モントゴメリー、ならびにウィリアム・スリム将軍が浮かぶ。モントゴメリー将軍は北アフリカ戦役において、知略を尽くす敵将ロンメルを敵を上回る戦力、よく準備された防御陣地によって撃破した。

スリム将軍は太平洋戦争開戦初頭、ビルマで日本軍に追い散らされてから臥薪嘗胆し、戦力の増加、軍の革新につとめた。そして1944年敵の攻勢を逆手にとって撃破し、つづく1945年イラワジにおいて有利な戦力、敵の思いもよらない攻撃によって、ビルマの日本軍を崩壊させた。

日本古戦史中、織田信長はこれに当てはまるかもしれない。長篠の役において、武田軍を自らの有利な地形に誘い出し、その間敵の背後陣地を襲い戦場離脱を困難にさせ、もって敵を攻撃にいたらしめて大軍と野戦陣地で壊滅的打撃を与えた。

楠木正成もこの範疇に入ると個人的には思っている。彼は勝兵になりがたかったため、その基調になったのは持久消耗戦略である。古来、ガリア戦争中のウェキンゲトリクスの例を引くまでもなく、劣勢軍隊の常套手段である。元弘の乱では理解ある軍事指導者(護良親王)に恵まれて勝利に結び付けられたが、つづく足利尊氏との戦いでは政策決定者(朝廷)の無理解によって戦死した。



これに対する考えもある。

日本の武士たちの中では、「多勢で小勢に勝つのは真の勝利ではなく、小勢で多勢に勝って真の勝利」[相良(2010)P46]という思想もあった。

古代に微すれば、カンネー会戦、ファルサロス会戦。日本古戦史なれば、いわゆる戦国三快戦、桶狭間の戦い、厳島の戦い、川越夜戦がある。


ここらへんで、力尽きた。
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。