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ロッヅ会戦は1914年11月東部戦線にて行われた。ドイツ第9軍はロッヅ付近のロシア軍を包囲殲滅せんとしたが、攻撃が成功しないばかりかその包囲翼たる第25予備軍団が逆包囲される。第25予備軍団は決死の敵中突破により危うくその難を脱した。

第25予備軍団は6日にわたる敵背後における行動間約4500名を喪失し、その半ばは第3近衛師団に生じた。2000以上の負傷者は退却する部隊とともに帰還し、その他負傷者も大部分は退却に先立ち後送された。また、ルシュコウの墓地に埋葬された戦死者は1000を超え、獲得した捕虜は16000、鹵獲火砲は64門に上る。



マッケンゼン・・・第9軍司令官
シェッフェル大将・・・第25予備軍団長
リッツマン中将・・・第3近衛師団長



シェッフェル大将の略歴

大将は1851年出生し、1870年7月士官候補生として歩兵第83連隊に入り、独仏戦役に従軍し、のち陸軍大学校を経て参謀将校となり、累進して近衛軍団参謀長、近衛擲弾兵連隊長、参謀本部長、近衛歩兵第2師団長に歴任し、1908年歩兵大将に任ずるとともに第11軍団長(カッセル)に補せられ、1913年12月現役を退けり。開戦後1914年8月予備第25軍団長に補せられる。
p.82



フェースライン少佐は、4日以来断絶しありしフロンメル騎兵集団との連絡を通じ得たり。彼は興奮して戦闘指令所に来たりて曰く、

「閣下もはやフロンメル大将には期待するあたわず。該騎兵集団はわが軍団の西方約40キロのシャデック付近にありて、その中間には有力なる露軍あり。この情況はすでに軍司令部よりわが軍団に通報し得たるはずなり。しかるにただ依然として、『予備第25軍団は前進、前進、会戦の決はその軍団にかかる・・・・・・』」

大将その言を遮りて曰く

「這は宜しからず。本日まで予は安んじてフロンメル大将がわが軍団に近づきつつあることを信ぜり。いまやその期待は全然葬られたり。さて諸君、われらはフロンメルなしにその任務を達成せざるべからず。而して軍団はこれを貫徹すべし。近衛歩兵第3師団の攻撃は順調に進展しあり。予は予備第49師団もまた間もなく前進を再興すべしと信ず。チーゼンハウゼン中将は古武士(フルツワモノ)なるをもって断じて逡巡することなし。中将はすでにその師団を前進せしめあるべし」と。
p.107



リッツマン中将はシェッフェル大将に戦況を説明し、明日の攻撃続行は奏功の見込みありとの判断を述べたり。大将は、リッツマン中将の確信と旺盛なる意気とに満ちたる攻撃精神に感動せしも、大将は軍団の危険なる状況を説明しロッヅに対する戦闘を中止して東方に退却するの企図を告げざるを得ざりき。リッツマンはこれに答えて曰く、

「閣下がただいま説明せられし危険なる状況より脱兎するの途は予の確信ところにおいては北方ノウォソルナに向かい突破するの一途あるのみ。本日驚嘆すべき勇敢を発揮せるわが近衛師団は突破を敢行すべし。明日さらに新鋭の意気をもって前進せん。わが部下はなお大なる活動をもってすべき力を蔵す。予はわが師団をもって北方に突破すべきを確証す。予に2ないし3連隊を予備として配属せられたし。おそらくは予備第50師団を可とせん。同師団の兵力はこれより甚だしく大ならざるべし。しからば明日ウィオン・ナニイン――ミレスツキーの露軍戦線の背後を突破し第20軍団との連絡を回復すべし。これわが軍唯一の救済手段なり」
p.134



リッツマンはさらに曰く

「閣下、ふたたびブルゼチニイに向かい前進せんとするは同意しがたし。けだし吾人の前進経路をふたたび踏むはあたかも退却のごとく見ゆるをもってなり。かくのごとくんば無智なる兵は退却なりと思いこれがため軍隊の士気を害うべし。各人は前進の信念を保持せしめざるざるべからず。吾人もし北方に血路を開かば各人はこの信念を保持すべし。また閣下は南方および東方より前進中なるがごとき露軍に対しいかに切り抜けんと欲せらるるや? ノウィコウはその大騎兵団をもってわれらの前途を要しあり。阻止せられ、かつ殲滅せらるるの危険はむしろ敵軍中に孤立するにいたるべき該方面に多く、直路北方第20軍団が提携せんと待ちつつある方面に比しその危険はるかに大なり。閣下、予に予備第50師団をあたえらるれば予は突破を成就すべし。予にしてもし不幸突破に失敗するとも必ずやわが勇敢なる近衛師団および予は比類なき栄誉ある最後を遂ぐべし。閣下、これ予の意見なり。予はこれを採用せられんことを望む」

と、シェッフェル大将はリッツマン中将の希望に輝く軒昂たる意気に満足を覚えつつ、その意見具申は多くの利点を有するごとく感ぜしをもってさらに熟考すべく、決心の確定は近く到着すべき軍命令をもって行うべきを告げてリッツマン中将のもとを辞せり。

リッツマン中将は「幸福と戦勝を祈る」と述べて軍団長と別れ、自己の計画の成功を確信し意気揚々として司令部に帰り、幕僚に向かいて曰く

「諸君、明払暁北方ノウォソルナに向かい第20軍団方面に突破せんとす。明日は大なる勝利か、しからずんば光栄ある殲滅あるのみ」

と。中将の力強き言々は幕僚の心胆を衝き、かれらは愉快げに命令の起草に着手せり。
pp.135-36

(ただし突破方面は軍命令によりブルゼチニイに変更した)



シェッフェル大将は命令を反復朗読せしめて曰く

「諸君、ご覧ごとくいまや作戦の重点は転移せり。万事は第20軍団を主体とするにいたり、孤立包囲のわが軍団は救援を受くるあたわず。かえって第20軍団を援助するを要す。これ実に厳粛なる戦争の実相なり。まったく第20軍団はわが軍団よりもさらに困難なる状況にあるものと思惟せらる。わが軍団はもっとも絶望すべきものにあらず。否、その反対なり。われらは突破せんとし、また突破せざるべからず。われらはわれら自体の包囲を離脱するのみをもってはいまだ足れりとせず。第20軍団を援助し、かつ救済せざるべからず、前進!!」
pp.138-39



(リッツマン)中将心中平かならず。すなわち謂えらく

「軍団命令の部署はかんたん明瞭なり。しかれどもその実施は不可能なり。そもそも予備第25軍団は主として若年の志願兵よりなり、すでに莫大の損害をこうむり、あまつさえ数日来の悪戦苦闘によりすでに力尽きたり。いまもしその実力を算定せばすこぶる過大に失すべきを知らざるべからず。腕と眼とが疲労し果てて用をなさざるとき、銃は無価値なり。しかるに露軍は新鋭なる兵力をもって各方面より近接しあり。しかも近くわが軍を増援するものは絶無なり。ノウォソルナに向かいしならんには第20軍団と手を握り得たるなり。東方に向かう退却は壊滅を招くのみ。予備第25軍団はいまや絶望の淵に沈殿しあり。本夜かしからざるも明朝は敵より包繞せらるべし。露軍はすでに漸次包囲を緊縮しあり。軍団の運命は風前の灯なり。死か、降伏か、鮮血に斃るるか、しからずんばシベリアに流さるるかあるのみ。しかれども近衛歩兵第3師団の健在はなお絶望を要せず。否、師団は軍団の運命を既倒より救出し得べし。師団はすでに多大の損害をこうむり、銃数多くも4千を過ぎず、かつ将校の大部を失えり。しかれども厳として存在す。予は軍団を救わんとす。予は本日なおブルゼチニイに突進せんとす。予はまず歩兵のみを掲げて進まん。砲兵は森林内の不良なる道路上を同行しあたわざるをもって、かえって前進を妨害す。傷者まず残置せざるべからず。これまことに情において忍び得ざるところなり。しかれども予が傷者とともに残るか、もしくはかれらを予と同行せしむるはともに全部の壊滅を招くものなり。予はまずわが歩兵とともに突破したのち、砲兵と傷者とを招致すべし。予はいまや敵の後方にありといえども窮地にある予備軍団のために活路を打開し得べし」
pp.172-73



(リッツマン)師団長は夜間戦闘においては後方にあるも適時報告を得るあたわずとて、剣を抜いて第6旅団の第一線とともに前進せり。彼は当時を回想し述べて曰く

「師団長は一時分隊長となれり。しかれども剣を掲げて敵に突撃し得たるは幸福なり・・・・・・予はたまたま工兵中隊内に入りあるを覚り、かつて1870年戦当時若年の近衛工兵少尉として従軍せし往時を回想し愉快を覚えり」
p.178



午前10時30分、2名の自転車兵司令部に来たり、その一名の下士官はシェッフェル大将に近づきて曰く、

「近衛歩兵第3師団報告」

大将は自らの耳を疑いて反問せしに、正しく同師団より来れる伝令なりしなり。

「近衛歩兵第3師団は、今暁4時ブルゼチニイに達し、市街戦ののち、同部落を占領せり」

と。口頭にて報告し、筆記報告を差し出せり。

フェースライン少佐これを朗読す。曰く、

「鉄道提の地域を午後6時45分、突撃により占領せり。ガルコウの敵を掃蕩す。ガルコウェクにおいては80の露兵を捕らえたり。師団は午前4時主力をもってすこぶる疲労してブルゼチニイに達し、これを占領せり。ヒンツェ中尉は家屋戦中戦死せり。師団には本日さらに前進を要求せられざることを切に請う」

と。これを耳にせる人々あたかも夢中にある心地して、少時言を発する者なし。ポーゼック大佐まず沈黙を破って、騎兵集団の東北方に向かう突破の命令を下されんことを意見具申す。人々の面上には喜色溢れ、伝令将校はこの吉報を各方面に伝達せんとして馬に跨り、両自転車兵はタバコの贈り物と質問とに包囲せられたり。
pp.194-5



25日朝マッケンゼンは大本営に報告して曰く、

「わが東翼に向かいし敵の反撃は打破せられ、該方面に攻撃せし露第一軍の部隊は壊乱せり・・・・・・わが東翼にはいまや危険存せず」
p.205



『ロッヅ会戦』



戦勝の意思および自信に支持せられつつフォン・マッケンゼン将軍は終始一貫頑強に敵軍の殲滅に邁進したり。しかるにかかわらず、完全なる最後の勝利を得るあたわざりしは敵軍の兵数においてきわめて優勢なりしに因れり。

将軍は11月11日歩兵11コ師団および騎兵5コ師団をもってまず露軍の歩兵4コ師団および騎兵5コ師団に対して前進を開始したり。しかるに作戦の終局したる11月25日にありては、独軍の兵数はとうてい野戦に運用すべからざる劣勢の国民軍5コ旅団を増加せるにすぎざりしも、敵軍の歩兵は26コ師団半に膨張したり。

これを要するにロッヅ付近にありては、独軍は歩兵約123コ大隊および大砲約800門をもって、露軍の歩兵204コ大隊および砲750門と戦い、ロヴィチェ付近にありては、独軍はわずかに歩兵約34コ大隊および砲100門をもって、露軍の歩兵160コ大隊および砲384門と戦えり。
p.1485



『独公刊戦史第21号』
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