儀峨徹二『自大正7年5月9日至同6年13日 英国埃及遠征軍従事報告』より「パレスチナ戦場における制空権ならびに空中戦」を微妙に現代語訳して抜粋。
儀峨大尉は参謀本部からの観戦武官として1918年5月9日から6月13日までパレスチナに送られていた(ようだ)。


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パレスチナ戦場における英土両軍の飛行機数には甚だしき懸離あり。オスマン軍飛行機はすこぶる弱勢にして、到底イギリス軍飛行機の敵にあらざるなり。イギリス軍はその戦線の全土面約100キロに対し飛行機5中隊(飛行機は80機)有し、制空権を獲得し、常にオスマン軍飛行機を圧倒しありといえども、しかもこの制空権たるや絶対のものにあらず。

オスマン軍飛行機は到底堂々たる数機の編隊をもってイギリス軍飛行機に対抗することあたわずといえども、毎朝イギリス軍総司令部の上空にオスマン軍飛行機飛翔し来たり、イギリス軍航空機射撃砲のこれに対し白煙を吐くを日課とせしより見るも、オスマン軍飛行機は事実上弱勢なりしにもかかわらず、常にイギリス軍を空中より監視するを得んがごとし。

しからばイギリス軍はかく優勢なる飛行機をもって何が故にオスマン軍飛行機空中偵察を放任しありや。イギリス軍はすこぶる優勢なる駆逐用飛行機の多数を有するにあらずやとは何人にも考うべき疑問なるべし。

しかり、イギリス軍はもちろんこれが駆逐に努力しあるや明らかなり。しかれども、オスマン軍もまた速力ならび昇騰力優秀なるドイツ飛行機を有し、通常7000メートル以上を飛翔し来るをもって、これが発見は天候晴朗なるときといえどもすこぶる困難にして、かつもし敵飛行機の来れるを発見しこれを駆逐するため駆逐機を出発せしむるも、この駆逐機が上昇して敵と同高に達するまでには敵すでにその影を没するを常とす。

ゆえにかくのごとき駆逐機の用法は敵を制圧するの適法にあらざるなり。しからば他の一法として我が戦線に沿い絶えず数機を飛翔せしめ、空中を監視せしむるの方法を取らんが、この法は前者に比しはるかに良好なりといえどもその監視幕を避けて潜入する敵機をことごとく監視せんがためにはすこぶる多数の飛行機を要し、現在のイギリス軍飛行機隊の数には到底この任務を遂行することあたわざるなり。

試しに空中数千メートルよりパレスチナ戦場イギリス軍の陣地を瞰下せんが、陣地の経始はもちろん、その後方砂漠地または草地に集団して点在する幕舎は掌を指すがごとく総司令部の位置のごときはすこぶる明瞭に目睹するを得べし。

ゆえにイギリス軍総司令部飛行機主任参謀大尉に質するに、オスマン軍飛行機の爆撃に対し危険の如何をもってせんに、彼曰く、もしオスマン軍飛行機はイギリス軍総司令部に一弾を投ぜんかイギリス軍飛行機隊はこれに酬ゆるに常に数トンの爆撃をもってす。ゆえにオスマン軍は英軍の報復を恐れ、到底これを爆撃し得ず。現に過般オスマン軍飛行機来襲して数弾を総司令部に投じ、これがため通報部の将校1名戦死せり。この報復として一昼夜の間毎30分を間し、絶えず1機ないし2機をもってオスマン軍総司令部を爆撃せしめたるをもって、爾後オスマン軍はイギリス軍の報復を恐れついに爆撃せずと豪語せしも、(転記者注:1918年)5月9日朝オスマン軍飛行機は、英第21軍団に属しジャファ北方セ・ムアニス(注:読めない)においてオスマン軍の状況を監視中なりし一繋留気球を爆撃しこれを撃落せり。これをもって見るもパレスチナ戦場における制空権はイギリス軍これを獲得しあるも、しかも絶対のものにあらざるを知るべきなり。

これにおいてか吾人がもし数倍優勢なる航空機の有する一方軍に対し、弱勢の飛行機をもって戦闘せざるべからざる場合に遭遇せば、もって地上の敵を監視するに欠くることなかるべし。
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手書きなので一部読みづらいところがあった。あと英語が筆記体で書かれてるからほとんど読めなかった。

イギリス公刊戦史 War in air の6巻に1918年度のパレスチナ方面の航空隊のことが書かれてあるようだけど、それ以前のは書くに値しないというのでカットかな?