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陸軍省はエジプト遠征軍に対して非常に大切な2点について増強した。航空戦力と砲兵戦力である。送られてきたブリストル戦闘機はこの戦線での制空権を確立し、トルコ軍火砲300門に対してイギリス軍は475門と優勢となった。
第3次ガザ戦の前夜には総兵力歩兵7万5千、騎兵1万5千となっていた。

アレンビーはフランスの英将軍にはない強みをもっていた。つまり兵員と物質の著しい優越と、解放翼に対する攻撃である。
ガザに対する正面攻撃を繰り返すよりは、チェットワードとDawnayの立てた案をアレンビーは採用した。この案は砲兵を増強した第21軍団によってガザに包囲攻撃をかけ、その間にトルコ軍左翼のベールシェバに砂漠乗馬軍団と第20軍団で攻撃をかける。そしてベールシェバを取った後はそこからガザ北部へと回りこむようにするものである。

アレンビーは敵部隊への欺瞞と驚駭を重視した。攻勢のためイギリス軍歩兵が攻撃準備行動に移るとき、彼らはトルコ軍航空機がイギリス軍がまだキャンプにいるよう信じ込ませるため、キャンプをそのままにしておいた。
イギリス軍情報士官リチャード・マイナーツヘイゲンMeinertzhagen(ドイツ系?性が全く読めないw [追記、訳は『平和を破滅させた和平』より])はイギリス軍の意図を隠す最も素晴らしい欺瞞をして見せた。10月10日、彼は日記に次のようなものを書いた。

「今日一日敵をだますことに費やした。私は遅くまで我々の計画と問題について、すべて無意味なことが書かれてあるニセの参謀士官のノートを編集するのに忙しくしていた。今日、私はベールシェバの北西地区に敵の疑念を刺激することなしにノートを落とすために出かけた。Wadi Ghuzzeeを横切った後、シリアに向かって北西に進んだ。馬に乗って歩いて行き、Girheirの近くですぐに追いかけてくる可能性のあるトルコ軍パトロール隊を発見した。私はギャロップで1マイルちかくまで離れて、そして私は馬を下りて約600ヤードから撃った。


長い・・・糞訳すぎる・・・心が折れたorz
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