カイザーシュラハト 2009.11.27 (金)
・攻撃計画
第1案 ヴェルダン付近、ミューズ湖畔
第2案 イープル、ランス(アラス東北)中間のフランドル地方
第3案 アラス、ラ・フェール間

・第1案(大本営[最高統帥部?]作戦課長ウェッチェル中佐案)
連合軍の中核たるフランス軍撃破を志向する。
クレルモン・アン・アルゴンヌ地区への主攻撃とサン・ミュエル北方地区から西面して行う有力な副攻撃とを併用し、ヴェルダン要塞をフランス軍一般戦線より遮断する。そしてこれにより、戦闘に参加する多数のフランス軍師団を撃破し、次いでヴェルダン正面にあるフランス軍11個師団を包囲粉砕してフランス軍の人的資源に致命的な打撃を与える。これにはヴェルダンを包囲しているドイツ軍約15個師団に作戦の自由をもたらすという利点もある。これに加えて、フランス軍戦線の要点であるヴェルダンの攻略は、フランス軍に与える士気上の影響が極めて高いであろう。
この結果として、1918年初頭のフランス・アメリカ軍の攻勢は完全に挫折し、ドイツ軍はさらに要すれば全力を挙げてイギリス軍を攻撃する。

第2案(バイエルン王太子軍集団参謀長フォン・クール案)
イープル突出部に集合しているイギリス軍主力を衝いて、これをせん滅する。もしまたイギリス軍を圧迫してカレー、プーローニュを奪取すれば戦線の短縮ができる。

第3案(参謀次長ルーデンドルフ案)
アラス、ラ・フェール間地区への攻撃はソンム戦の荒廃地を通過しなければならないし、作戦距離が長大になる不利がある。しかしイギリス軍の防御工事は他方面のように進展していない、特に縦深を欠いている。この理由は、1917年春季にドイツ軍がヒンデンブルク線に退却した後初めて建築に着手したからである。また、イギリス軍がこの正面に有する兵力も比較的弱小である。
作戦距離長大の不利は、攻撃重点をアラス、ペロンヌ間のソンム川北方地区から海へ向かう機動にすることで避けることができる。
これに加えてドイツ軍はオアーズ川によりフランス軍と分離しているイギリス軍のみを攻撃する。フランス軍のドイツ軍左側に対する機動に対しては、オアーズ川によりこれを援護することができる。ゆえに、一挙に突破に奏功すればイギリス軍主力を海岸に圧迫し、フランス軍との連絡を絶つことができるであろう。

議論の末、第3案が通った。
ルーデンドルフ意見:
「ミューズ河畔からの攻撃は険峻な起伏地で実施しなければならない。これに加えて戦略上の効果は戦線を短縮できるに過ぎない。」
「フランドル地方への攻撃はカレー、ブーローニュ付近を攻略し、イギリス軍の根拠地を占領してドイツ軍の戦線短縮に利がある。しかしリース川流域は4月中旬以降路外行動が困難であるので、アメリカ軍参戦前に決戦を求めんとする要求に合わない。」
「私は諸案の利害、特に敵の弱点を考慮し、アラス、ラ・フェール間地区のイギリス軍を攻撃するに決す。“純粋な戦略は戦術に従属しなければならない”。戦術上の成功なしには戦略的効果を及ぼすことはできないということは、過去3年における連合軍の諸攻撃がこれを証明して余りある。」
『世界大戦の戦術的観察 第4巻』p.29-32



「攻撃の全行動は2段階に分ける。第1段は、第2軍、第18軍地区での広正面突撃(カンブレー・サンカンタン間の攻撃)。第2段は約14日後に開始するもので、第4軍、第6軍地区でアゼブロックを一般方向とする突破である。」
ウェッチェル中佐の手記(1917年12月12日付)、『世界大戦の戦術的観察 第4巻』p.106

第1次攻勢でドイツ軍は、本来の根本計画以外のことに走り、兵力を無駄に使ってしまった。そのため第2次攻勢が所期のように大規模なものとすることができなかった。このため、泥沼式にエーヌ正面への弱点攻撃により英仏軍の兵力を牽制しようとした(第3次攻勢)。
カイザーシュラハト 2009.11.22 (日)
フランス軍の情報見積もり
「ドイツ軍は奇襲を最も確実にするため攻撃点を数日行程以内の点にし、諸攻撃師団を集結して急速な近接行進の後これを攻撃正面に導くであろう。
第1日は突然猛烈な砲撃を実施し、かつ多大な毒ガスを使用して終日終夜砲撃を実施する。第2日未明、敵歩兵は攻撃前進を開始し、第1陣地を占領する。第3日、敵はフランス第2陣地の攻撃を準備するためこの日は運動を起こさず、砲撃もまた猛烈でない。第4日未明より第2陣地に対する砲撃を実施し、午後2時より歩兵は攻撃前進を実施する。」
(『世界大戦の戦術的観察 第4巻』pp.29-30)


フランス軍防御陣地は以下の通り。

………
第1陣地(第1線師団)
第2陣地(第1線師団)
第3陣地(第1線師団)

…(第3陣地まで)一日行程内…

第2線師団の線(軍予備)[任務、会戦あるやとっさに増加する]

…(第3陣地まで)自動車の一日行程内(約60キロ)…

第3線師団の線(軍予備)[任務、前方諸師団を支援し、決戦陣地を占領し、または予備となる]

第4線師団の線(総軍予備または軍集団司令官の予備)[教育休養作業などに従事]
………

第3陣地から第4線師団の線までの線は鉄道輸送実施に便利なよう配置する。軍司令官は第2陣地において第2、第3線師団を使用し、極力敵の攻撃を阻止する。しかし総軍予備の到着遅れ、総軍予備を全部集結して使用し難いときは、要すればさらに後方の線によって総軍予備を整然と使用して決戦を企図する。
(『世界大戦の戦術的観察 第4巻』pp.32-33)


1918年3月、イギリス縦深防御
サン・カンタンの反対側のゴフ将軍の第5軍は、1917-18年の冬を通してあまりにも広がりすぎ、人員不足だった。ドイツ流の方法(イープルのようなしなやかな縦深防御)を手本として試した。理論上では、前哨陣地、主戦闘陣地、予備・後衛戦闘陣地…云々。しかし不幸なことに、この野心的な計画を完遂する前にドイツ軍は攻撃に出た。前哨線のみに要員が配置されていた。多くの場合この線に人員を割きすぎていた。だが一方、主陣地と予備陣地は戦闘に使うにはかなりの準備不足だった。これは、前線陣地(front position)の背後にドイツ先鋒が浸透するのを許した。」

だめだ…英語から日本語に変換できない…

朝の濃い霧はドイツに利した。これは歩兵の前進を隠し、もっと重要なことにイギリス前線陣地から発射される緊急救援ロケット(SOS rockets こんなものがあったのか。信号弾のようなものか。おそらく無線不備のためだろう)を砲兵が見るのを妨げた。対照的に(イギリス防御の全縦深に達する)ドイツ軍の猛烈な砲撃は立ちすくませるような効果的なものだった。
(『Fortifications of the Western Front 1914-18』p.54)
カイザーシュラハト 2009.11.21 (土)
「歩兵は火器の威力を十分に発揮し、かつ敵の弱点を偵知しよくこれを利用するに努めるべきのみならず、突入成功するや各部隊は一意突進を継続しなければならない。突進の成功は一に果敢なる動作と、各自の任務に対する独断専行によっている。たとえ一部分において阻止されることがあっても、これを全線に波及させるようなことがあってはならない。また深く敵中に突入した歩兵は頑強に抵抗する敵を包囲してこれを陣地の外へ駆逐できるよう、また阻止されたこの隣部隊を進出させることができるようにしなければならない。」(1918年1月1日発布、ドイツ軍攻撃教令)
『世界大戦の戦術的観察 第4巻』p.110


春季大攻勢でのドイツ軍の攻撃計画は以下の通り。
参謀次長ルーデンドルフはこれまでの西部戦線の戦いの様相から、「戦術上の勝利がなければ戦略上の勝利は得ることができない」とした。戦術上の勝利を得るために突破正面をアラス、ラ・フェール間とした。この正面は英軍担当地域。英軍は仏軍よりも劣等と考えられていた。


「英軍は疑いもなく、戦闘にかけては、フランス軍よりも拙劣であった。英軍は、急速に変化する戦況を瞰制する術を知らなかった。その行動はあまりにも型にはまっていた。従来、攻撃の場合にこの欠陥が現れていたのであったが、これは防戦の場合にも同様であるだろうことを余は信じた。」
ヒンデンブルク『わが人生より』p.388


ヒンデンブルクは英軍の欠陥を平時訓練の失敗によるとしている。これにはエドワード・エリクソンも同意見。平時での大部隊訓練の欠如は近代的な指揮と統帥への無理解へとつながった。また、1914年度ではヨーロッパ大陸へ派遣した歩兵6個師団、騎兵1個師団は火器・装備良好だったが、他の部隊はこの限りではない。イギリス軍は大規模な戦争への準備ができていなかった。(Ottoman Army Effectiveness in World War I. pp.30-31参照。p.190の脚注より、Command or Control?: Command, Training and Tactics in the British and German Armies, 1888-1918、Victorian Army and the Staff College, 1854-1914、Trial by Fire: Command and the British Expeditionary Force in 1914、Battle Tactics of the Western Front: The British Army`s Art of Attack, 1916-18、KILLING GROUND: The British Army, the Western Front and Emergence of Modern Warfare 1900-1918が参考になるらしい)

ドイツ経由の評価が日本陸軍へも伝播して、旧軍のイギリス軍低評価をもたらした(現在でも?)。ただ後発なだけあって大戦末期にはフラーなどの革新的な軍人も出てきている。旧軍のフラー研究は一部の研究者によるものにとどまっている。大戦末期での英軍の特色がもっとも色濃く出ているのはメギッド作戦かもしれない。


「フランス軍は平均して、同盟国たる英軍よりも戦闘に巧みであった。その代わり、フランス軍は、防御の場合には英軍よりも強靭さに乏しかった。フランスの砲兵は、わが軍の指揮官並びに兵士にとって最も危険なる敵であったが、フランス歩兵はそれぼど畏れられていなかった。」
ヒンデンブルク『わが人生より』p.388


大戦末期の西部戦線では、イギリス軍の本国兵は消耗して植民地兵が主力になっていた。フランス軍の方では暴動がおこるほど一時期士気が落ちていた。

カイザーシュラハトでのルーデンドルフの作戦指導には議論が絶えない。戦術を重視しすぎて戦略がおろそかになったというのが当時からの批判。実際、カイザーシュラハトの作戦図を見たら、ただ突出部をつくっているようにしか見えない。
これに対し、やはり実戦経験としてまず戦術上の勝利がなければ突破は難しいというのだから仕方ないという擁護意見もある。旧軍はこの意見かな。
リデル・ハートはホフマンという名参謀を欠いたために精彩を欠いた云々(記憶間違いでなければ)。
くねくねと書かれていて理解しにくいが、David Zabeckiは浸透する歩兵への砲兵支援、兵站支援がなんだのかんだのと…(The German 1918 Offensives. pp.110-112)



ああ、英語め!! 頭沸いてきた…