ミリタリー | 趣味・実用 | 戦術 2015.03.21 (土)
House, Combined arms warfare.よりメモ。



パート1結論(戦間期まで
・米英独仏ソの五か国はそれぞれ異なる議論を発展させていったがあきらかに同じ道筋のものもある。

・第一に、予算の制限。反戦感情や防衛費の制限は、ヨーロッパ民主主義軍隊における新たな武器と教義の発展を妨げた。ドイツやソビエトでさえ、制限に直面した。ために第二次大戦に突入したとき、準備を整えていた国はいなかった。しかしドイツは新兵器の実際的経験に数年の長があった。

・第二に、第一次大戦スタイルの歩砲優勢は諸兵科連合のあらたな発展を妨げた。大粛清以前のソビエトをのぞいて。英仏米は、機械化部隊を二つに分岐させた。歩兵支援に転ずる重装甲部隊と、騎兵のような軽くて爽快な装甲部隊である。ドイツは略

・さいごに、列強各国のエアパワー論者は、陸上作戦での密接な航空支援の発展を妨害した。ドイツでさえ、大戦がはじまったときひな形でしかなかった。

もし第二次大戦が1936年か37年に始まっていたら、トハチェフスキーの育てた赤軍が、物資と訓練上の問題にもかかわらず、他を圧倒していただろう。1942年より遅かったなら、英仏米は実験の時間を持て機械化の準備を整えていただろう。ドイツは1930年半ばから機甲部隊を育て、1939年にはよく組織されよく訓練されていた。そのうえ、ドイツは他国にはない二つの利点を有していた。原始的ではあるが航空支援システムを発展させていたこと、他国よりもより速く機動できる指揮統制網をもっていたこと、これである。



Combined Arms Warfare in the Twentieth Century: Warfare in the Twentieth Century (Modern War Studies)Combined Arms Warfare in the Twentieth Century: Warfare in the Twentieth Century (Modern War Studies)
(2001/04/20)
Jonathan M. House

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ミリタリー | 趣味・実用 | 戦術 2014.12.31 (水)
「シャーマン戦車はパンターに劣るのか?」

ドイツ軍のパンター戦車はシャーマン戦車よりいくつかの技術的な点で優っている。低発光火薬、より強い砲、より強い装甲、より優れた照準器、より優れた沈下抵抗力、そしてより速く、より機動性が高い(注1)。

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パンターG型(ウィキペディア・コモンズ)


パンター戦車にかかわる本には、ティーガーはともかく、パンターでさえシャーマンは1対1となると歯が立たない、パンターを1両仕留める間にシャーマン4両ないし5両が犠牲なったと、シャーマンに対し手厳しい評価を下している(注2)。

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M4A1シャーマン(ウィキペディア・コモンズ)


しかし実際の戦闘がすべて技術的なもので決まるとはかぎらない。1940年のフランス戦でまさにドイツ軍がそれを証明している。本当にシャーマンがパンターを撃破するのに4-5両を必要としたのだろうか?


1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある(注3)。Hardisonは、比較的戦車戦の多かった第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出して分析した(注4)。これによれば、アメリカ軍が攻撃側でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。

両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。

86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した(とアメリカ軍は記録している)。3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。そして、3以上の兵器を使った91例の場合、全滅させられたのは10例に過ぎない。戦車戦は唐突に始まり、唐突に終わる。数が少なすぎると全滅させられ、数が多いと敗北をさとるやすぐに後退し、全滅にいたることが少なくなるのである。

上の方で示した数字は、防御側のほうが有利なことを示している。防御側はよい位置に就き、射撃の主導権を得やすい。もし防者の利点が射撃の主導権をにぎる公算が高いことにあるのだとしたら、攻者が初弾を放つことができる戦闘が低い損害となるのは驚くべきことではない。事実、統計では、攻者・防者問わず初弾を放った方が損害が少なく、次弾に甘んじた側の損害が高いことを示している。

Hardisonのレポートでは、特定の戦車による技術的優位が戦車戦の結果に影響をもたらしたと証明できていない。データが不足しているからである。統計では、パンターが防御に回ったときの有用性はシャーマンの1.1倍となり、逆の場合シャーマンの有用性は8.4倍にもなる。すべての記録を合わせると、シャーマンはパンターの3.6倍の有用性を誇った(注5)。ただ、これらは精密なデータではないし、実際の損害交換比率とは合っていない。

Hardisonのレポートは、次のように結論する。

a.敵兵器の位置を察知する、より速い方法を戦車兵に提供すること。そして、
b.標的を突き止めてから撃破するまでの時間を減らすこと

である。つまり、「先に発見し、先に攻撃し、先に命中弾を与える」ということだ(注6)。朝鮮戦争でのデータで、この原則にしたがった場合、戦車の戦闘効率は6倍にまでなり、攻撃時と比較して防御時のアメリカ戦車の有用性は3倍にまでなったという。


これまで見たように、"パンターを1両仕留める間にシャーマン4ないし5両が犠牲となった"などという伝説は、歴史的事実ではない(注7)。戦車戦の結果は、技術的なものよりも戦術的環境によって決定されていた。アメリカの戦車兵は、パンターの正面装甲が抜けにくく、逆にシャーマンは正面からでも撃破されてしまうことに恐怖を抱いていたが、実際の戦闘は正面から1対1で行われるものではない。状況はいかようにも起こり得る。西部戦線では、大規模な戦車戦はほとんど起こらず、それぞれ諸兵科連合部隊を運用した両軍は互いの手持ちの部隊の効力を最大限に発揮させて、相手を圧倒しようとした。

アメリカ軍の戦車兵が着実に戦闘経験を蓄積していったのと対照的に、ドイツ軍の戦車兵はノルマンディ戦以降、加速的に練度が低下していった。一般の戦車兵の技量は深刻なまでに悪化し、少数のエースが活躍しても有利な状況を作りだせなかった。ドイツ軍のシュラム少佐はのちにこう語っている、「アルデンヌ攻勢で空だけでなく機甲部隊でも敵が優越していることが明らかとなった」と(注8)。


わたしが何を言いたいかというと、シャーマン戦車を不必要に貶すのはやめてくだされということである。



注1 Jarymowycz, 265-266.
注2 白石光「『強敵』パンターに対する連合軍の評価と対応」『図説 パンター中戦車パーフェクトバイブル』125頁。
注3 下に紹介している。David C. Hardison, Data on World War II Tank Engagements: Involving the U.S. Third and Fourth Armored Divisions.
注4 第3機甲師団"スピアーヘッド"は、1941年4月15日に活性化。戦車と歩兵の比率が2対1の重機甲師団として運用された(重機甲師団は第2と第3のみ)。1944年6月、ノルマンディ戦に参加。7月コブラ作戦、9月ベルギーで戦闘、ジークフリート・ラインに達した最初のアメリカ師団となった。バルジの戦い、ドイツ国内戦にも参加。戦闘日数231日を数え、アメリカ機甲師団のなかで一番の損害を出した。
第4機甲師団は、1941年4月15日に活性化された。こちらは戦車と歩兵の比率が1対1の軽機甲師団である。1944年7月よりフランスでの戦闘に参加。公式の愛称がないが、古参兵たちは"パットンズ・ベスト"と自称した。師団は全期間パットンの第3軍に所属、パットンお気に入りの部隊とみなされ、しばしば攻勢作戦で先鋒をつとめた。コブラ作戦、バルジの戦い、ドイツ国内戦に参加。終戦時にはチェコスロバキア西部にまで進攻している。
注5 ザロガ、68頁。
注6 ザロガ、67頁。
注7 ザロガ、68頁。
注8 zaloga, 67.



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ザロガ先生のシャーマン愛あふれる本。この記事はほとんどこの本の要約にすぎない。ページに比べて高いがそれだけの価値がある本。推薦。

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Tank Tactics: From Normandy to Lorraine (Military History)Tank Tactics: From Normandy to Lorraine (Military History)
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ザロガ先生のシャ(略
ミリタリー | 趣味・実用 | 戦術 2014.12.28 (日)
アメリカ機甲師団は1942年型と1943年型に大別され、42年型は2コ戦車連隊と1コ機甲歩兵連隊、43年型は3コ戦車大隊と3コ機甲歩兵大隊だった。

主に神出鬼没のドイツ軍個人対戦車火器に対し不安を感じる戦車兵はシャーマンの車体に土嚢を積んだが、意味がなく機動性を減らすだけとも言われた。それでも広まっていき、いくつかの部隊では組織的にされた。例外的にパットンの第3軍では禁止された。

フューリーの新兵だけどほんとに訓練未熟な補充兵が送られてたらしい。

アメリカ軍とドイツ軍の戦車戦はあまり生起しておらず、しかも半分以上が中隊、小隊以下であった。ドイツ戦車部隊は1944年夏以降、加速的に練度が低下していた。ドイツ軍のSchrammは後にこう語っている、「アルデンヌ攻勢で空だけでなく機甲部隊でも敵が優越していることが明らかとなった」

機甲軍で集成せずに戦ってるけど全部自動車化部隊だから悪いとも言えないのか。

ただ機甲部隊の運用を理解しない軍団長、軍司令官が多かったとも(たいてい歩兵科

Organization, Equipment, and Tactical Employment of the Armored Divisions(PDF)
戦術 2014.07.01 (火)
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ミリタリー | 趣味・実用 | 戦術 2014.06.24 (火)
戦列戦闘思想
戦列戦闘思想
防御をなす場合、機を見て攻勢移転する以外ない。



散兵線思想
散兵線思想
連発銃の急射撃(集中射撃)により正面攻撃が自殺的になった(ボーア戦争、日露戦争など)。第1次大戦まで。



主抵抗線思想
主抵抗線思想
戦闘地域を戦闘前哨と主抵抗線とに分け、主抵抗線前面において火力を最大限に発揚して敵を撃破せんとする。防御の本旨は火力と逆襲を併用して敵の戦闘威力を破摧。そして主抵抗地帯前面において敵の攻撃を破摧の思想。第1次大戦からベトナム戦争あたりまでか。



こののち米軍はソ連の縦深攻撃に対応するため、立体戦対処思想へと移行する(アクティブ・ディフェンス、エアランドバトル)。
さいきんの通常戦と治安戦をあわせた戦闘様相ではいかなる防御になるのか。



桑田悦『攻防の論理』
1906年版ドイツ歩兵操典
ドイツ連合兵種の指揮及び戦闘
戦術部会「戦術用語の解説(その2) 『防御の核心』」