スポンサー広告 --.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
心酔の結果妄想
仏軍が大戦前攻勢主義に心酔せる状以上のごとし。右(原文ママ)のごとく過度に攻勢主義に心酔せる結果として、火器の威力に対する観念漸次消滅し、ついに旺盛なる攻撃精神は、輓近大いに発達せし火器の熾盛なる威力をも圧倒し得るかのごとき妄想に不知不識の間陥るは、奇にして奇ならざる現象なり。仏国将官エールはその著書『砲兵の過去現在及び将来』なる名著において述べて曰く、

平時における演習において攻撃運動を教育せんとせば、ついに火器の効力を無視する結果に終わるものとす。一年間における教育の最大事業たる我が大演習においては、奪取すべき敵陣地に対しまったく敵火を無視し、軍旗を風に翻し、太鼓を奏し、密集隊形をもって前進する歩兵の顕わるる――一大軍事活劇を数日間行う。而してこの活劇の講評としては、ただ眼に触れたる事象、すなわち攻者のためには攻撃方向、行進路、突撃時の歩度を、防者に対しては銃剣をもってする攻勢移転、その適否、その力等について述ぶるに過ぎず。しかれども、土地に定着して突撃歩兵に追随することきわめて困難なる火砲、静止せざれば戦闘し得ざる機関銃はほとんど忘却せられ、その用法およびその努力に対しては間接的に注意を払うものすら、また稀なりき」と。

紅の軍袴
平時右のごとき(ママ)習慣と観念とにより徹底的に訓練せらし仏軍が、大戦に際し設置せる独軍陣地に対し平時演習のごとく「軍旗を翻し太鼓を打ち」て突撃を実施せしは、もとより当然なりき。いわゆる旗鼓堂々紅色の軍袴、燦(さん)たる剣光が夕陽に映したるその光景は、まさに壮烈にして古代の戦争画を二十世紀の戦場に見るの感ありしならん。しかれどもこの一大古画は、近代戦の火力に対しては、たちまちにして鮮血をもって彩られたる地獄の絵巻物と化したること、もちろんなり。すなわち、戦闘の初期より仏軍砲兵は日露戦争における日本軍の経験(日本軍は準備砲撃を行いたるのち攻撃するを原則とせしが、開戦と同時にかくのごとくするも敵の砲兵を破壊し得ずして、歩兵の前進間敵砲兵が活動するを体験せり。ここにおいて戦前より原則とせし準備砲撃を廃し、我が歩兵の前進により敵砲兵現出するをもって、このとき我が砲兵は敵砲兵を射撃するを可なりとなし、爾後この意味において歩・砲の協同動作をなすことを重要なる新原則となせり)に基づき準備砲撃を行わざりしのみならず、仏軍砲兵は野砲のみより成りしをもって、よく遮蔽せる独軍砲兵、とくにその重砲兵は何等の妨害を受くることなく、紅色の軍袴を穿ち旗鼓堂々として密集前進する仏軍歩兵を痛烈に射撃してその猛威を逞しうし、またその機関銃は凄惨なる爆音とともに火焔に等しき猛火を浴び、いたるところ仏軍歩兵に壊滅的損害を蒙らしめたり。

頂門の一針
以上のごとく、仏軍はその往昔の失敗に鑑みこれを矯正せんがため、その後における各戦争の教訓を利用するにあたり、その判断正鵠を失い過度に攻勢主義に偏し大戦に望み、その結果として初期においてははなはだしき損害不利を見たり。戦史を研究し戦争の教訓を利用せんとするものに対し、右(ママ)仏軍の不幸なる経験は、まさに頂門の一針たるべし。

次に英軍は如何。
スポンサーサイト
第四編
 第一章 概説
 戦史を基礎として大戦間に発達せし戦術上の諸原則の変遷に関し、吾人は記述すること五巻の多きに至りたるをもって、今ここに擱筆せんとす。而して大戦間に発達せし戦術上の諸原則はおおむねその大要を述べ得たるを信ずるも、なお総括的に記述するを要するもの二、三あるをもって以下これを論じて本書の総括的結論に代えんとす。

 第二章 火器威力
 戦争の教訓は名刀正宗
 実戦の教訓は真に最貴重にして平時研究の何者をもってするもこれに代ゆるあたわず。しかれどもこれが教訓を租借するにおいては、ただに慎重なるを要するのみならず、明断、真に原因のあるところを探求し取捨選択そのよろしきを得ざるべからず。たんに外観または結果のみを見てその内容もしくは原因を極むることなからんには、たまたまもって意外の禍害を残すに過ぎざるべし。すなわち戦争の教訓はまさに名刀正宗のごときものあり。これを誤り用いんか、その弊計り知るべからざるなり。

 正面不可説
 仏軍は千八百七十年戦前火器の威力の増大せることにより正面の不可侵説を構え、したがって防御をもって攻撃に優れる方法なりと結論せしが、その誤れることは七十年戦において明に知らしめられたり。すなわち戦闘における勝利は防御によりて求め得ず。機動戦、すなわち攻撃によりて求め得べきことを痛切に体験せり。而してバルカン戦、ボーア戦および日露戦はともに火器威力の漸次大となりつつあることを陰に陽に知らしむるものありて、仏軍もまたこれを認めざるにあらざるも、これと同時に攻撃精神のより貴重なるを認識せざるを得ざりき。

 肉弾か鉄弾か
 なかんずく日露戦役において東洋における未知の一小国たる日本が世界における最大陸軍国たる露国を破るや、その驚異は世界的なりしとともに日本軍戦勝の原因がその旺盛なる攻撃精神に存するを知るや仏軍攻撃精神の憧憬心その極度に達したるは、さきに「羹(あつもの)に懲り」たる仏軍としては無理からざる現象といわざるべからず。かくのごとくにして、ついに仏軍は大戦前火力に対し機動の優越せることを確信し、戦術論の基調はもちろん、編成制度の問題に至るまですべて叙上の根本主義によれり。

 肉弾主義の片影
 リュカ中佐はその著書において仏軍が上下攻撃精神に心酔せし事実を叙して曰く、

 「諸種の作業、図上演習における問題は、皆攻勢にのみ限られたり。往々にして駐軍の諸件を研究することあるも、これやむを得ずして研究せるなり。なんとなれば、軍隊は昼夜無限に行進すること不可能なるがためなり。しかれども、これとても前哨問題にのみ限れり。ただし往々にして複雑かつ困難なる退却運動問題を論ぜざるにあらざれども将校は防御という語を耳にするを好まざりしをもって、防御を論ずるの勇気は到底これなかりき。いわんや現地演習においておや(中略)
  攻勢の学理は我が諸将校を精神病化せり。いかなる場合においても我が軍の取るべき方針は攻勢また攻勢、つねに攻勢にありとためせり。我が将校の眼中においては極端なる攻勢は万能薬なりき(以下略)」
と。

 右のごとく攻撃精神に心酔したる結果は、防御を卑しみこれを嫌悪するの弊を生ずるに至れり。すなわち同書にこれを述べて曰く、

 「仏国人中には、兵卒が一度急造せる掩蔽部内に隠るるときはこの掩蔽部外に出で、敵火を犯して前進せしむることははなはだ困難なりと唱うるもの多かりき。
  また、我が軍隊は自由に土地を掘り得べき作業場を有せざりき。たまたまかくのごとき作業場を発見せるときにも塹壕を掘りたる後、ふたたびこれを埋め置くことの面倒なるを厭いて練習するを拒みたり。ゆえに多くの場合においては、新兵教育機関わずかに二回または三回野戦作業の実地訓練をなすに止まり、この期を経過せる後には大小演習の際、防御の諸練磨は一切廃止せり」
と。
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。