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●背景
紀元前58年、ガリア南東部に住むヘルウェティー族は東方より浸食するゲルマン人の圧迫に耐えかねて移住地の移動を開始した。これより3年前よりヘルウェティー族は準備し、食料を蓄え、近隣部族に行動を共にすることを呼びかけていた。

新たにガリア総督に就任したユリウス・カエサルは、ヘルウェティー族の西方への脱出を危険視、第10軍団をつれてゲナウァへと急進した。ゲナウァへの道を阻止されたヘルウェティー族はこれを避けて略奪しながらさらに西方へと移動していった。戦力増強の必要を認めたカエサルは第10軍団を副将ラビエヌスに任せて属州へ帰り、3コ軍団を従え、かつ新たに2コ軍団を創設し、ガリアへと急進した。

6コ軍団を有するローマ軍はヘルウェティー族に追いすがった。しかし、その最中食料の不足を認め、27キロ離れたビグラクテへいったん退くことを決めた。ヘルウェティー族はこれを好機と判断し、逆にローマ軍を追撃した。接近するヘルウェティー族に対し、司令官カエサルはこれを邀撃することを決心、ちかくにある丘へと移動して敵を待ち構えた。


●態勢
・ローマ軍
丘の中腹に老練の4コ軍団(7-10)を配置。頂上付近には、あらたに編成した2コ軍団(11,12)および援軍歩兵を置いた。陣地構築を支援するため、援軍騎兵が敵に当たった。ローマ軍の中核たる6コ軍団は2万4千ないし3万の兵力を有し、援軍歩兵と援軍騎兵を合わせた数がこれと同等にいたと思われる(注1)。地中海最強を誇るローマ軍団(legio)は健在であるが、急造の2コ軍団は錬度に欠け、援軍騎兵も後年のような精強さはない。

・ヘルウェティー族
ヘルウェティー族側は戦闘員約5万を有していたと思われ(注1)、このうち輜重を守るボイー族とトゥインギ族が1万5千を有していた。ローマ兵を兵士というとすれば、ケルト兵は戦士ともいえる。規律と軍規を基調とするローマ軍兵士とは異なり、ケルトの兵士は個々の勇猛さに拠っていた。集団的ではあるが、組織的ではない。無秩序に後退するし、その間敵騎兵の包囲機動を受けるや殲滅的打撃を被ることしばしばであった。かれらの長剣を振るう空間の狭さは、大損害を受ける原因ともなっている(注2)。


●経過
カエサルの援軍騎兵を密集隊形で押し返したヘルウェティー族は、戦列を組んでローマ軍の第1列へと正面から前進した。カエサルは軍団員を全員下馬させ、部下を檄叱咤した。敵接近するや老練の軍団兵はピラを降り注がせて敵の戦列を崩し、ついで短剣(グラディウス)を煌めかせて突撃した。

ヘルウェティー族は猛烈な衝撃力に押されて敗走した。ちかくの山へと逃げた敵兵を4コ軍団は追撃。輜重を守っていたボイー族とトゥインギ族はこれを危険と見て、追撃するローマ軍右翼へと殺到した。勇気付けられたヘルウェティー族も山をおりてローマ軍を攻撃した。カエサルは2方面に対処する必要を認め、第1列、第2列の大隊をそのままヘルウェティー族に当て、第3列の諸大隊をボイー族とトゥインギ族に当てた。

ケルト兵に勇猛さはあれども、堅忍不拔の精神はない。正午から6時間にもおよぶ戦闘に折れて、ケルト兵は敗走した。ヘルウェティー族はまたもやちかくの山へと逃げ、ボイー族とトゥインギ族は輜重の置いてある陣地へこもった。ローマ軍はこれを追撃、輜重のある陣地では夕方から夜明けにいたるまで戦闘が続いた。

ローマ軍は輜重陣地を占領。ヘルウェティー族を中心とした連合部族は、殲滅的打撃を受けた。カエサルの鹵獲した文書によると、連合部族は総数36万8千。このうち、もとの領地まで帰ったのは11万足らずであったという(注3)。


●評
ローマ軍は実質4コ軍団(1万強ないし2万弱)でもって、連合部族約5万を殲滅した。恐ろしい戦果である。ヴェゲティウスの「生まれつきの勇者などいない。勇者は訓練と軍紀によって育てられる」との言葉が想起される。
[カエサルの適切な指揮はこれを倍化させた。信頼性に劣る新造軍団への処置、盾のない右翼への打撃に対する冷静な対処、これらはカエサルの戦術能力の高さを見せ付けている。](ここのあたり考えがちょっと怪しいので、カッコ付けしておく)

ガリア戦争は記述のほとんどがカエサルの書いた『ガリア戦記』に拠る。カエサルはローマ側の人間である。敵のことを知りうるのは味方よりも限定的である。ケルト側に関する詳細な記録がないのは、普段は近代を調べているものとしては残念としか言いようがない。


●脚注
注1
Kate Gilliver『Caesar's Gallic Wars』,P33。Ross Cowan『Roman Battle Tactics 109BC–AD313』,P25では約7万7千と評価している。

注2
Kate Gilliver『Caesar's Gallic Wars』,P28-9

注3
近山金次訳『ガリア戦記』,P54
國原吉之助訳『ガリア戦記』,P36


●参考文献
ユリウス・カエサル、近山金次(訳)『ガリア戦記』
ユリウス・カエサル、國原吉之助(訳)『ガリア戦記』
片岡徹也(編)『戦略思想家事典』
マイケル・シムキンズ、桑原透(訳)『ローマ軍 カエサルからトラヤヌスまで』(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ)
Kate Gilliver『Caesar's Gallic Wars』
Ross Cowan『Roman Battle Tactics 109BC–AD313』


●備考
・諸軍団から成る第3列を容易に方向転換できるのは、常設の軍団長がいないからだろうか。
・Ross Cowanはケルト側の戦列をファランクスと表記している。かれらはそれほど密集陣だったということだろうか。


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Ross Cowan『Roman Battle Tactics 109BC–AD313』から引こう。

ローマ軍の固有の編制で一番上の単位は軍団(legion)。定員5千ないし6千だが、ほとんど満たすことはない。
その下の単位は大隊(cohort)。大隊は3コ中隊(mianiple)から成る。1コhastai(若年兵)、1コprincips(熟練兵)、1コtriarii(老練兵)でもって大隊を構成する。大隊は定員5百名で、小規模な任務部隊の一種といえる。中隊は160名ほど。中隊は30コなので、軍団は10コ大隊を有している。

戦闘陣形の定型は、中央に軍団が位置し、その両側面に援軍歩兵、翼側に援軍騎兵が展開する。



『古代ローマ軍団大百科』は高いのう。どうしようか。


移動速度について

ローマ軍の行軍は一日平均20ないし30キロ。強行軍はそれ以上、記録では30時間で74キロというのがある。
(近山訳『ガリア戦記』P32-3)

ローマ軍の一日の標準行程は25キロ。出発は夜明けで6ないし7時間歩く。その後陣営を築く。
(国原訳『ガリア戦記』P405)

手持ちの資料にはほかにないが、塩野女史に、
通常時の行軍 5時間で、25キロ
強行軍 7時間で30キロないし35キロ
最強行軍 日夜問わず可能なかぎりの距離を踏破
(『ローマ人の物語 9』P103)
とある。洋書で書かれてあるか。ないとこまる。

近山訳と国原訳を比べてみると、逆に塩野女史のカエサルに対する情熱に気づいてしまう。いやはや。

参考として、歩兵の軍隊、日本陸軍(太平洋戦争期)ではどうか。

教育総監部編『演習用数量表』(1940年発行)によると、
諸兵連合部隊 昼間4キロ/時間 夜間3-4キロ/時間 一日の行程24ないし40キロ
乗馬騎兵部隊 昼間6-10キロ/時間 夜間4-5キロ/時間 一日の行程40ないし60キロ
※1.小休憩を含む標準値
※2.行程は行軍連日にわたる場合における標準
※3.道路は平坦地における普通のものとする



ガリア戦争記述の方式は、主に作戦レベルから(できるかな?)。一年毎の戦役に区切る。戦役(campaign)の語源どおりに冬の終わりから冬の始まりまで。



9/9追記

塩野女史の記述、「通常行軍で5時間25キロ」は1時間5キロとなり、旧軍と比べて早い。6時間で25キロではないのか。
煮詰める鍋は煮えない、ということで少しの間欧州大戦から離れて、古代ローマのガリア戦争を調べようかと。



「これらのものが着くと、事態はがらりと変わった。味方は負傷して倒れているものまでが楯につかまってまた戦いだし、従軍者は敵のうろたえるのを見て武装したものに素手のままで向かって行き、騎兵も敗走した恥を武勇でそそごうと至る所で軍団兵を凌ぐ戦闘をした。敵も最後の望みをかけて奮戦し、先頭のものが倒れれば次のものは倒れたものの上に立って屍の中で戦い、それらのものも倒れると生き残ったものはさらに死体を積み重ねてその上からローマ軍にテラを投げ、槍をつかんでは投げかえした」
近山金次(訳)『ガリア戦記』P197

「およそ人は自分の望みを勝手に信じてしまう」
近山金次(訳)『ガリア戦記』P129

「おまえら、敵に軍旗を渡したくなきゃ飛び下りろ、俺は国家と指揮官に義務を果たす」
近山金次(訳)『ガリア戦記』P158



2千年経てなお残るだけあって、すばらしい。血湧き肉踊る戦記だと思う。
これほど詳細な作戦記録が残っているとは…ローマ人は恐ろしい。本邦の軍記物語とは大違い。くやしい。

日本にも国解という報告書があったはずなのだけれど(『陸奥話記』は国解も参考文献としている)、散逸している。



参考としたいもの

近山金次訳、ユリウス・カエサル『ガリア戦記』
國原吉之助訳、ユリウス・カエサル『ガリア戦記』
國原吉之助訳、スエトニウス『ローマ皇帝伝 上』
プルタルコス『英雄伝』
泉井久之助訳、コルネーリウス・タキトゥス『ゲルマーニア』
長谷川博隆『カエサル』
エイドリアン・ゴールズワーシー『古代ローマ軍団大百科』
エイドリアン・ゴールズワーシー『図説 古代ローマの戦い』
歴史群像編集部編『歴史群像アーカイブ 西洋戦史ギリシア・ローマ編』
歴史群像編集部編『図説・激闘ローマ戦記』

Nic Fields『Julius Caesar』
Nic Fields『The Roman Army: the Civil Wars 88–31 BC』
Ross Cowan『Roman Battle Tactics 109BC–AD313』
Ross Cowan『Roman Legionary 58 BC–AD 69』
Duncan B Campbell『Greek and Roman Siege Machinery 399 BC–AD 363』
Kate Gilliver『Caesar's Gallic Wars』
Stephen Allen『Celtic Warrior』
Daniel Peterson『Roman Legions Recreated in Colour Photographs』
ほとんどすべてOsprey社刊。フラーのカエサル論はあったほうがいいのだろうか。

ガリア(ケルト、ゴーア)人については、考察できるものがあんまり残ってないのかな。

実際、どれくらいあつめるかは分からぬ。




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