ミリタリー | 趣味・実用 | ビルマ戦 2011.01.15 (土)
WikiPのムッチー記事が保護になっているのでこっちにメモ。

「日本の上級司令部は我々をわざと勝たせた。我々はイムパール戦において、我々が中部ビルマに進入して彼等の主力とそれ自身の土地で戦い得る前に、常に私が必要と感じていた大きい敗戦を彼らに与えた」
ウィリアム・スリム、白鳥一郎(抄訳)『敗北から勝利へ』p.186

「諸資料を検討するに、河辺中将は牟田口中将の放胆な作戦構想(一般に鵯越え戦法といわれている)には内心同意し、黙契を与えていたように思える。しかし、中参謀長以下の方面軍参謀は河辺中将の腹中を知らなかったし、牟田口中将としては、方面軍司令官の黙契を得ている以上、方面軍参謀長以下がどんな所見を述べようとも深く問題にしなかったのであろうと推測される」
戦史叢書『インパール作戦』p.111



なんか木村兵太郎中将のほうがマシに思えてきたぞ。

寺内寿一大将が貶されている理由もわかってきた。この人もインパール作戦を黙認していた。そして牟田口中将は上級の指揮官の命令しか聞かず、参謀の言は重視しなかった。一般の日本軍部隊に見られる参謀任せもアレだけど、これもなんだか… 両極端に振れすぎてる。



あと、ひょんなことから大田嘉弘 『インパール作戦』を入手。
これ本当にムッチー擁護本なのね。ビックリした。
ビルマ戦 2011.01.07 (金)
木村兵太郎将軍の指揮官としての評価が必要以上に低い。実際のところは、日本軍基準でいえば並だったと思う(攻勢偏重過ぎて軍司令官以上で名将と呼べるような人は…)。
ビルマ戦役で木村が指揮したのはインパール戦後というのが理解されていない。イラワジ会戦なしにラングーン放棄を語るのは卑怯。

インパール戦後、ビルマ方面司令官として木村兵太郎、参謀長として田中新一が着任。当初、木村は田中参謀長を一応は信頼していた。

南方総軍の意向に基づいて木村司令官は持久を主張、しかし田中参謀長は決戦を主張、声の大きい田中参謀長に折れて決戦をもってビルマ防衛を図ることを決める。

イギリス軍の進撃によって「イラワジ会戦」惹起、英軍渡河半途において攻勢に移るも終始失敗する。

木村司令官は田中参謀長を信頼しなくなる(田中参謀長を軽視し始める)。

英軍、日本軍の意表をついてニャングへ渡河上陸、メイクテーラを目指して進撃。主攻か否か方面軍司令部内でひと悶着あるも、木村司令官はメイクテーラ会戦への転移を強く主張して可決される。

英軍、メイクテーラ占領。日本軍奪還を図るも失敗。後退。

英軍、急速に進撃し始める。

ラングーン放棄。


・急速に進撃する英軍に対してラングーンを放棄するか粘るかは指揮官次第である。司令部が前方にいるか少し後ろにぎみにいるかは、人それぞれ。ビルマ戦役崩壊を早めた田中参謀長がなにを言う、って感じである。
・ラングーン撤退時の処置が不十分だったことはやはり残念。シンガポールの華僑虐殺事件ぐらい残念。磯部卓男は参謀がちゃんと後始末をしなかったのが原因としてる。宴会ばっかりやってビルマ方面軍の評価を下げた参謀たちもいるし…ビルマ戦には二線級ばかり送られてるのかな。
・第28軍が敵中に孤立してしまったのはイラワジ会戦の敗北が原因。どうしてラングーン放棄が原因になるんだ?



以下、拍手レス

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ビルマ戦 2010.06.10 (木)
WikiPでイラワジ会戦執筆中なんだけど、まだ半分しか書いてないつもりなのに2万バイトこえてる。全部書ききったら4万バイト以上いってしまう。これまで一番書いたのでさえ2万4千バイトぐらい。日本語の参考資料があるって怖いなあw



「ビルマのように厳しい戦局下で、こんな荷物(引用者注:粋香園という料亭のこと)はないほうが良いと思ったが、方面軍ではどうしかことか、作戦課長直轄の聖域であった。その門前にはいつも数十台の車が並び、苛烈な戦力をよそに繁昌をきわめ、前線将兵の怨嗟の的でもあった。」
後勝『ビルマ戦記―方面軍参謀 悲劇の回想』p.175

「『あいつらは、大阪からやって来た芸者なんですよ。これから、メイミョウに在る第15軍の司令部に行って、連日、連夜の宴席にはべる連中ですわ』と、噛んで吐き出すようにいった。」
緩詰修二『最悪の戦場 独立小隊奮戦す』p.189


作成中の収録されるかは分からない。こういう話はどういうわけか、たちまちの内に兵隊の中で噂となって四方八方広がっていくものらしい。旧軍の暗部。

ビルマ方面軍後方主任参謀だった後勝氏はどうしてそんなに遊ぶ金があるのかと訝しがったが、戦後の戦友会で「後方参謀なら物資を少しちょろまかせば稼げるのに」と言われて仰天したらしい。



最近思うが、日本陸軍は実際の戦いで戦力の集中をあまり重視していない。イラワジ会戦の3号攻勢も過早に実行してしまって兵力消耗して、あとで慌てて1号攻勢…もちろん失敗。



後期ビルマ戦における兵士の不満は、「装備が貧弱であること」および「上級司令部の指揮劣悪であること」に大きく分けられる。

「装備が貧弱であること」はとくに小火器、自軍はボルトアクション式小銃が基本なのに米英軍は自動小銃が持っていることと対戦車兵器に乏しいことである。弾薬の補給が滞ってくるとサンパチ捨てて、鹵獲したステンガン装備しだすというオチがつく。

一般兵士から見れば、インパール作戦がなぜ決行されたのか謎としか言いようがないだろう。飯にありつけるのか、弾はあるのかという視点で。最悪統帥の花谷正師団長、料亭で遊び倒す軍司令部…



「日本軍の士気はインパール戦前のように最高ではなくても、最後の者まで、最後の弾薬までというほどであった。個々の日本兵は、私が常に言ったごとく史上の最も恐るべき虫であり、インド国民軍師団の戦闘価値はほとんどゼロであり、またビルマ国民軍は、我々の1942年の経験から観て、厄介者以上の何者でもなくて、内部の保安勤務のため持たれていた程度のようであった。」
英スリム中将『敗北から勝利へ』pp.190-191

翻訳があれなので原著も参照したい。虫って言い草ひどいねw
これぞ「必勝の信念」ってやつだろうか。やらなくていいのにやる攻撃精神、捕虜になることが許されない社会的ルール、後退=敗北とみなされるなどといった代償を払ってさえ必要なものだったんだろうか。
ビルマ戦 2010.06.01 (火)
イラワジ会戦に関する本を読んだ感想。主として陸戦史集『イラワジ会戦』。あと、戦史叢書『イラワジ会戦』、磯部卓男『イラワジ会戦』、Ospreyの『Meiktila 1945』、英公刊戦史『War against Japan』をちょろちょろと。

・1944年、インパール作戦後にビルマ方面軍司令官になった木村兵太郎の評価は、一般に著しく悪い。が、作戦に関しては定見のある軍人だと思った。
・イラワジ会戦に際しては「決戦」回避を主張していたが、参謀長田中新一(辻~んと同種の人物だろう)が決戦を強弁に主張したため押し切られた。インパールと同じノリ。参謀長のおかげで司令部内の雰囲気は悪かったという(要クロスチェック)。
・その後1945年2,3月のメイクテーラ戦になると統帥を発揮して、声の大きい参謀長の意見を退けて司令官自身の方針を命令している。
・これはイラワジ戦後になってしまうが、木村司令官の悪評を決定的としてしまったラングーン放棄の実相はどうなのか調べてみたい。磯部卓男氏(元歩兵第214連隊)は、司令部が襲撃されたら元も子もないと擁護している。


・われらが辻~ん(辻政信)はやっぱりやってくれた!!
・メイクテーラ戦終盤の会議において、未だ攻撃の意思を有していた田中参謀長に対し、
「敵戦車1両を破壊するのに火砲1門と人員50名の犠牲とを必要とする。したがって残存約100両の戦車を破壊するためには約80門の火砲と5千の人員を補充しなければならない。それまでにしてなお、作戦を継続し、メイクテラ奪還を強行しなければならぬかどうか、方面の真意を承りたい」
さすがの田中参謀長も折れたという。

さすが辻~ん、ほかのやつには出来ないことをやってのける!!

・そのほかにも所属した司令部をさんざん引っ掻き回してる。ガダルカナルで懲りたのかと思ったらこれだよ。


・この時期のビルマ方面軍各師団の人員が少なすぎる。大隊と出て、「200名」とかある。これでよくやれたなあと。
ビルマ戦 2010.05.31 (月)
ビルマにいた中国軍のことを中国側は「中国遠征軍」と呼称している。

中国書籍に関して、
・Yesasia
・中国学術書店
・東亜書店
などから入手可能。

・WikiPの「ビルマの戦い」の中国記事がなぜか「中国遠征軍」に飛ぶ。
・拉孟の戦いのことを中国側は松山戦役と呼称している。

http://www.youtube.com/watch?v=0qK4EA40WRo&feature=related
大陸中国産?
中国遠征軍に関するドキュメンタリー。

Yesasiaで購入可能。でも字幕なしになってる。中国語でもいいから字幕ないと理解できないよ。