世に名高き川中島合戦の全貌は大略以上述べたとおりである。

戦記中、どこまでが真実で、どれだけが後人の仮作であるか、今ではもはやその篩い別けが困難である。論者色を作し説を立てて曰く、虚言でも真実でもよいではないか、すでに世間によく知られ、かたく信じられていることを、いまさら虚実の詮議だてでもあるまい、吾人はただことの真否の詮索よりも、それによる兵学の研究こそ肝要なのであると。

然り然りまことに然り、さりながらミスミス虚言と知られたことを基礎として研究するんでは、あまりに馬鹿馬鹿しい次第ではないか。而して斯界には、ずいぶんとそんな実例が少なくないのであるから驚かされる。それについては、おもしろい実話があるから巻末に添え加える。ただし川中島の合戦がそうであるか否かは別問題だが、戦の細部の記事には大分後年の策が多いことは間違いない。

林部與吉工兵中佐「川中島合戦」『日本戦史の研究』P232、偕行社(1937年)
戦史とは何か 2011.02.01 (火)
石田保政『欧州大戦史の研究』緒言より。



(大正15年1月、欧州戦史の講を始むるにあたり 石田歩兵少佐)


戦史の価値につき


戦史は吾人に戦争の本質、戦闘の実態および戦場における諸事情を闡明[せんめい]し、その原因、経過、結果の関係を認識せしむ。

これ戦略戦術上の諸原則を始め、編制、装備、築城、交通等諸般の施設および制度にいたるまでその改革、進歩の根源ことごとく戦史に発する所以なり。惟うに用兵上の諸問題を平日諸般の演習、試験等により実験せんとするも、到底戦場における心理、危険の観念、悲惨の光景、情況の不明不確実錯誤矛盾等はこれを経験し得ざるものあるべく、勝敗の因果関係にいたりては平時机上における人為的推論をもって断じ得ざるものあるべし。

戦史の他兵学に対する地位は、あたかも医学における診断治療が病理解剖等の研究により進歩発達すると相似の関係にありというべし。

元帥フォン・モルトケ曰く「戦争は他の技術のごとく推理的方法をもって学ぶあたわず。ただ経験的道程においてこれを学び得べし」と。まことに至言と称すべし。


戦争の本質、戦闘の実態および戦場における諸事象の認識は、自己の修養に一つの指針を与え困苦、危険に打ち克つ得べき程度につき一つの標準を示す。

今際会せる戦況が我にきわめて不利危険なりとせよ、しかれどもはたしていわゆるさじを投ぐべきほど絶望的のものなりや否や、あるいはまた今なめつつある欠乏困難が忍耐の極度に達せるがごとし、しかれどもはたして打ち克ち得ざる程度のものなりや否や等の判定はけっして戦術上の純理論のみをもって断じ得ず。むしろ戦史により修養し得たる観念が、その決済に関し一つの準縄を示すものといわざるべからず。また人の性格はじつに矯正し難きこと世人の周知のことなり。しかれども戦史により、性格が統帥指揮におよぼす影響を知り、常時これを自己の性格に対照し自省するごとく修養を積まば幾分の効果あること必せり。


戦史は統御または幕僚の服務ぶり等に関し純学問をもって究め得ざる妙機いわゆる「コツ」をますます教示す。

武将に御し難きものあるは洋の東西を問わず時代の新古を論ぜず、史上にますます現わるるところなり。これが統御の妙諦のごとき到底筆舌に尽くし得ざるものとす。また動もすれば常軌を逸脱せんとする将帥に対する幕僚の奉仕ぶりのごとき到底学問として研究し得ざるところなりとす。これじつに、いわゆる「コツ」にしてこれらは戦史を惜き他に会得の機会はなはだ少なきものとす。


予想敵国の戦法敵軍の素質、能力、その慣用手段等の判断は、戦史研究の重要事項にして将来戦必勝の要素を案出せしむ。


戦史研究上の注意

戦史研究上の注意に関しては、そのつどこれを述ぶべし。ただこれには外国戦史の講を始むるにあたり一言諸官の注意を促すところあるべし。外国軍の戦績を吾人の修養訓練の一対象と看破すことなり。もちろん、外国軍の戦績中には採るに足らざるもの多し。しかれども称賛に値するものまた決して少なしとせず。吾人の血管内には祖先より継承せる大和魂流れあり。時ありて発動すとつねに楽観すべからず。大和魂も対象物を求め、たえずこれを凌駕するごとく切磋琢磨せざれば自惚れ倒れとなることあるべし。すなわち外国軍の戦績を吾人の修養訓練の一対象として戦史を研究せられんことを望む。

・軍事史を学ぶ意義
「歴史といい、軍事史といい、これらを学ぶ目的の一つは、先人たちの活動を史実を通じて研究し、事の成否や因果関係を検討して教訓を得ようとするところにある。すなわち、人類の歴史や軍事史を学ぶことにより、民族の生存発展や国家の興亡に果たした軍事という機能の役割の重大さを知ることができる」
防衛学研究会編『軍事学入門』p.95

・軍事史・戦史を学ぶ態度
「軍事史・戦史を学ぶとき、特定の価値観・予断をあらかじめ持つことは一切排除すべきである。多様な価値観を前提とし、広い視野、柔軟な思考力の養成を重視し、軍事史を学ぶ一人一人の脳裏に自分自身の戦史的な物の見方・考え方が醸成されることが必要である」
防衛学研究会編『軍事学入門』p.96

第二章第一節「軍事史」を担当執筆した新治穀は、書を読むだけでなく、実際にかつての戦場に赴いて追体験することが重要であると説く。また、安易に教訓を導き出してしまうことの危険性も言及している。



実際の戦場……パレスチナはいまや世界の弾薬庫やんかw
三原敏男少佐が考える日本古戦史研究の意義。

1.世界にもっとも卓越せる神州日本の武士道的精神を、寴知しかつ体得し得る
2.われらが祖先伝来の独特の長技を十分認識し得る
3.津々たる興趣のもとに研究し得る
4.青年諸君をして戦術の一端を了解するため、裨益するところ大である


3.は、日本のことであるため外国のことを調べるときのような煩を避けることができるという意味。



「論者あるいは言わん、日本古戦史の研究もとより甚だ可なるも、正確なる資料に乏しく、動もすれば裨史の類に堕し、甚だしきは状況をいたずらに捏造するの弊に陥りやすしと。まったくしかり、しかれども正確なる史実に乏しき理由のもとに全然これが研究を放擲するがごときは、決してわれらの賛同しあたわざるところである。極論すれば公刊戦史といえども、諸般の事情は必ずしもその資料ことごとくを、正確真実なる基礎に立脚しあたわざるものなきにしもあらざるを看取せらるるではないか。
われらはすべからく、資料の不備を戦略戦術上至当なる判断によりて補いつつ、これが研究に進むべきである」
三原敏男『名将の軍略』pp.9-10

クラウゼヴィッツは古いの新しいのどちらでもいいが、断片的な史料の集まりよりも、より精密な史料によって研究するほうがいいって言ってたんだっけ。



参考
・三原敏男『名将の軍略』
戦史に対する態度について、少しまとめてみる。
なおここでいう「戦史」とは、作戦戦闘史や軍隊史や高等指導史などを含むもので、作戦戦闘史に限られたものではない。


●過去の戦史から直接的に教訓をくみ取ること
これは理解しやすい。戦間期に著された『千九百十五年ガリポリに於ける上陸作戦』は次の戦争での上陸作戦に資するよう各戦闘毎に戦訓を掲げている。太平洋戦争期では、日本軍は戦訓報というものを作っている。

●直接的教訓に過度にとらわれず、戦争本質の理解すること(戦争に対する叡智を養う)
前項を過度に重視すると「将軍たちは過去の戦争のスタイルで今の戦争を行おうとしている」となりかねない。第2次大戦における独仏戦がいい例である。第1次大戦西部戦線の戦闘模様に囚われたフランス軍はドイツ軍に惨敗を喫した。
これを避けるためには戦争の本質を理解しようとしなければならない。少し前のことが未来でまた起こるとは限らない、つまり歴史は繰り返すとは限らないのだから。たとえ応用戦術や白紙戦術で学ぼうとしても、その想定からは逃げられない。ゆえに戦争の本質を学ぼうとすれば戦史を深刻に研究しなければならなくなる。米ハッチンソン博士の言を借りれば、「独創力、判断力というものは、過去の経験の中から諸要素の再編成にすぎない。独創判断のための諸要素を、頭のなかに数多く入れておくことが戦史研究の目的である」となる。

●批判精神をもつこと
史学では常識だろうが、批判的に見ていくこと、それが本当のことなのかより客観的に調べることは戦争本質の理解に役立つ。日露戦争の公刊戦史を編纂した旧陸軍は自らの失敗を隠蔽し、国威発揚に役立つよう書いた。ゆえに太平洋戦争後、旧軍将校をして「日露戦争をもっと真摯に学んでいれば」と言わしめた。

ここにあげたのは軍人視点のもので、市井の庶民がこれに従うべきとは必ずしも思わない。しかし調べるときの態度や叙述スタイルについて参考になると思われる。


●参考
『兵学入門』
旧陸軍による戦史編纂



上はメモのようなものでもうちょっと煮詰めていかないといけないかな。



「戦史は古いものも、新しいものも、いずれもそれぞれに研究の価値は大である。しかしなるべくその材料が、精密なものに力を注ぐのがよい」
クラウゼヴィッツの言、『兵学入門』p.222より

The German 1918 OffensivesでDavid Zabeckiが、「なんで第1次大戦を調べるんですか、なんのポイントで?」と青年士官によく聞かれるという話を思い出した。